与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

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53 世界最大のミステリー 「魏志倭人伝」

92 邪馬台国への行程  10 邪馬台国 

10 南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳提可七萬餘戸
10 南へ水行十日、陸行一月程行くと、邪馬壹国に至る。女王の都する所。
   官を伊支馬、次を弥馬升という。その次を弥馬獲支といい、その次を奴佳提という。七万戸余りある。


クレタ島からエジプトの海岸線までは約630kmあります。ほぼ、鹿児島新港~沖縄本島那覇港間の距離です。
これは、現在では、6000トンのクイーンコーラルプラスで、鹿児島新港~沖縄本島那覇港間、24時間、即ち、まる1日の行程です。

それを水行10日間とすると、1日63km進むことになります。

サントリーニ島出土の壁画 船団

サントリーニ島アクロティリの約3600年昔の上の壁画に見られるような、帆と漕ぎ手を装備した細長いカヌー状の船を双胴船に連結し、女王の特使用の快速船となしたものであろうと仮定して、次に述べるような計測をしてみました。

ホクレア号

ポリネシアの古代船を復元した「ホクレア号 全長約20m 幅5m」の南太平洋での大航海の例から割り出しますと、約11600kmを5ヶ月間=約150日の予定を組んで航海していますので、一日平均77kmほど、10日間で770kmの走行を目安としていたことになります。ここから判定して、630kmを10日というのは、ゆとりのある日程と云えます。

さらに、陸行一月程行くと、テーベとなり、ここが、女王の都と考えられます。
邪馬台国とはエジプトのことです。

エジプトの人口は、当時すでに数百万人から1千万人の規模に達していたと試算されていますから、女王の都が「七万戸余りある」、つまり30万人ほどの人口であったとしてもリーズナブルです。しかし、2000年ほど前の九州や畿内のどこを探しても、このような大都市の痕跡を見つけることは不可能です。


テーベ王朝について、わたくしは、既に、トゥト・アンク・アメンが「古事記」などの「天稚彦あめわかひこ」であることを検証しております。
また、クレタ島出土のファイストス円盤には、エジプトでファラオの右腕となった人物ヨセフの名前が日本語で刻まれており、その息子エフライムが彦穂々手見命=山幸彦、マナセが海幸彦であることまで解明できていますから、さらに、エジプトの歴史と照合しながら探索すればよいわけです。
また彦穂々手見命の寿命は580歳と「古事記」に書いてありますから、これは「息子」と云うよりは「息子を起点とする王朝」ととらえるべきでしょう。

ファイストス円盤に描かれている「彦穂々手見」についての、最も重要な情報は、「古事記」と「日本書紀」神代の巻の掉尾を飾っている彦穂々手見命の記事です。世界中を探しても、いまのところ、ヨセフの子孫の消息は分かっていません。聖書にすら手がかりはないのです。しかし、「古事記」と「日本書紀」の神代巻の末尾は、「彦穂々手見命即ちヨセフの子孫と豊玉姫の間に生まれたウガヤフキアエズであると記されその子孫が列記してあります。
この「ウガヤフキアエズ」という奇妙な名前について、また、その子孫について、木村鷹太郎氏が「日本太古史」明治45年刊 に解明していますので、これの検討をしてみます。 

「古事記」神代巻の末尾 
  天津日高日子波限建鵜葺草葺不合(ひこなぎさたけうがやふきあえす)命、
  その姨(おば)玉依毘売命を娶(めと)して、生みし御子の名は、五瀬命、
  次に稲氷命、次に御毛沼命、次に若御毛沼命、亦の名豊御毛沼命、
  亦の名神倭伊波礼毘古命。4柱。
  御毛沼命は、波の穂を跳みて常世国に渡りましき。
  稲氷命は妣(はは)の国として海原に入りましき。

「日本書紀」神代巻の末尾
  彦波瀲武鸕鷀草葺不合(ひこなぎさたけうがやふきあえず)尊、
  其の姨(おば)玉依姫を以ちて妃と爲し、彦五瀬命を生む。 
  次に稻飯(いないい)命。 次に三毛入野(みけいりの)命。 
  次に神日本磐余彦(かむやまといわれひこ)尊。 凡(すべ)て四男を生む。 
  久しくして彦波瀲武鸕鷀草葺不合(ひこなぎさたけうがやふきあえず)尊、
  西洲(にしのしま)の宮に崩(かむざ)りき。 
  因りて日向(ひむか)の吾平山(あひらのやま)の上の陵(みささぎ)に葬りまつる。


木村鷹太郎氏は、これを検証していますので、簡略に紹介しておきます。

「日本太古史」木村鷹太郎著 博文館 明治45年刊から 
  ウガヤフキアエスは、Ουραν γαια φορκιζ のギリシャ語の、
  天=ウラノスのウと、地=ガイヤのガヤ、
  支持するを意味するフォーキュスとの合成語であり、
  天を父とし地を母として地の両極にて天地を支えるアトラスのことである。 

  ウラノス     Ουραν  の略     宇=天 
  ガヤ=ガイア   γαια           地
  フキアエス    φορκιζ         支持者
   
  中国の史書に詳細に伝えられる天皇氏がウ、地皇氏がガヤに相当し、
  大昊伏義氏、又は庖犠氏と呼ばれるもののことである。 
  その「フッキシ」「ホーキシ」が、ギリシャ語のPhorcysとの同一性を示し、
  また、伏義氏、あるいは庖犠氏が竜蛇で表象されることでも一致している。
  天皇氏地皇氏に続いて記される人皇氏とは、ヒト=ヘテ人をいう。


彦穂穂手見命の子のウガヤフキアエズ、即ち、アトラスは、豊玉姫の妹玉依姫と結婚して、生まれた御子たちは次のような歴史的人物であると説きます。


  神倭伊波礼毘古命    イウールス  トロイア王子 ローマ建国の祖
  稲氷命=稲飯命     アイネイアス トロイア王子 ローマ建国の祖 
  御毛沼命=三毛入野命  ミケイリノス=メンカウラー  エジプト王

 稲氷命は剣を抜きて海原の国に入りて鋤持(サビモチ)の神と成り給えりと。
 鋤とは剣にして、スペイン、ドイツ、スウェーデン語などが、軍刀をサーブル、
 サーベルというは、鋤(サビ 鉄)と語源を同じうせるものにして、
 その人種名と成れるものはSabinusと言う。サビヌシは鋤主にして、鋤持と同意義なり。
 サビーヌ人種の国は稲氷命=イナイの入り込みしローマ付近の地にして、
 その地方をウンブリアUmbriaと言う。これ「海原」なる語にして、
 いわゆる稲氷命の入りませる「海原」なる国名にあたれるなり。

 「姓氏録」は稲氷命を以って新羅の祖となすが、極東には非ず、
 イタリア南部をシラキウスSeyllaciusと言う。これシラキなり。

 ホメロスの「イーリアス」中の英雄イナイ Aeneae=Aeneasは、トロイ王族にして、
 トロイ王家は美の女神の子なるイナイ王によって継続せらるべき運命を有し、
 トロイ没落後、イナイは、老父を肩に載せ、父をして神器を抱かしめ、
 君笏を有せる幼児イウールスIuleusの手を携え、戦争の混乱中に生き別れ、
 同族の一団と共に、海に陸に戦にと艱難辛苦を経て、ついにイタリーに着く。 
 其の地の有力者となりここに帝国の基礎を置けり。

 ローマ人はこのイナイ(アイネイアス)を以って建国の祖なりと伝う。
 イウールスはIuleusと綴れりといえども「ウス」は人物語尾のusにして、
 日本の「氏」にあたり、また「彦」にあたれる語なり。
 イウールスの「イウレ」は、トロイの別名Iliumと同一語にして「磐」を意味し、
 イワレ彦命に対して、「磐余」なる字に一致するが如し。
 
 イナイおよびイウールス(アスカニオス)にも海上に難船の記事あり、
 その地点はイタリアのクマノ海 Cumanosクマノスにして、
 稲氷命および磐余彦命の難船は熊野海たり。
 

「古事記」「日本書紀」の神代の巻の掉尾を飾っている記事はヘシオドスの「神統記」の掉尾と同じ内容であることを私は発見しました。

ヘシオドス「神統記」 末尾 
トロイア王家のアンキセスとアフロディテーとの間に生まれたアイネイアス、
および、オデュッセウスとヘーリオスの娘キルケーとの間に生まれたアグリオスと、
非の打ちどころなく、力あるラティノス、そして、
(アフロディテーの恵みをうけて生まれた)テレゴノス(チレニア人)・・・


「ラティノス」とはラテン人、「テュルセノス」人とは、エトルリア人或はイタリア人をさしていますので、この息子たちは、製鉄産業にいそしんだエトルリアの開祖たちであるということをこのヘーシオドスの頌詩は明かしているのです。
ウェルギリウスの叙事詩「アイネィアス」の主人公アイネィアスは、トロイア王家のアンキーセースとアプロディテー女神即ちヴィーナスとの間に生まれたと書かれています。
ヴィーナスの夫は鍛冶神ヘファイストス鍛冶神ですから、その息子アイネィアスが、エトルリアで「鋤主(さびぬし)の神となられた。」と言う記事と整合します。
アイネィアスがトロイア王プリアモスの娘クレウーサを妻としてもうけた息子はアスカニオス(別名ユールス、イウールス)です。
木村鷹太郎氏は、神武天皇が神倭伊波礼毘古あるいは磐余彦(いわれひこ)と記されているが、「いわれ」とは、トロイアのイリウムという言い方と同じで、イリウムも磐を意味するといい、トロイア王家をイウール(磐)ともいい、神武天皇とは、トロイア皇子イウールスのことであると解きました。この皇子の別名がアスカニウスなのです。

ところで、「製鉄&鍛冶=一つ目」という、わが国でもよく知られているこの原則は、ギリシャ神話の天空ウラノスと大地ガヤの子供であるプロンテス・ステロペス、アルゴス、キュクロプスと呼ばれる一つ目の兄弟の子孫のことから始まっているのです。
この三人組の女性バージョンがグライアイ(老女の意味、ギリシャ国名の語源)三姉妹で、体は三体ですが「目一つ、歯一つ」を三人で共用しているという怪物で、やはり怪物のゴルゴンの姉妹にあたります。
日本では、「一つ目」はこれと同じですが、ギリシャでの「一つ歯」のほうは、日本では「一つ葉」すなわち「片葉」「片葦」「片足」です。

このキュクロプスたちの両親であるウラノスとガヤをあわせた名を持つ「ウガヤ」王朝のことをわが国の「古事記」と「日本書紀」は「ウガヤフキアエズ」と記しているのですから、わが国の暦史書は、決して「弥生時代」以降のことだけを書いた浅薄な歴史書ではありません。こうして、4000年以上も後に解かせるような謎を編集するような「言葉と文字」の達人たちだったのです。

そして、このウラノスとガヤの子「ウガヤフキアエズ=アトランティス」を連れて逃げて養育し、結婚したのが虹の女神イリス(玉依姫)すなわちトロイアなのです。

日本では、玉依姫の夫の「大物主=大国主」は、「出雲」「三輪」などに分祀されていますが、いずれの神域にも「神奈備山」を擁しています。「パイエークス=キュプロス=(杉)林国」(木村鷹太郎氏の説)との共通思想が垣間見えるのが、三輪神社が杉の木を神紋としていることです。
また「三輪」とは、三重丸の同心円、即ち、「一つ目」を表象する言葉であると私は考えています。
そして、ヤマトとは、「矢と的」を表わし、それは、神=光=矢と的=目を示し、三重の同心円は「目的」「目標」「輪と和」をも表わすという最高の次元の象徴であると思っています。

三輪神社神域の「アスカ」という地名はアスクレピオス医神とトロイア王子アスカニウスを示唆しています。

アスクレピウス医神もイウレウス家も、紋章は百合でした。
そして、オデュッセウスは英語圏では「ユリシーズ」と呼ばれていますが、日本では「百合若」として各地に伝承されていました。



ヘシオドス「神統記」とホメロス「イリアード」「オデュッセイア」は、「古事記」「日本書紀」そして「魏志倭人伝」とリンクして、トロイア王家の「アイネイアス、イウレウス」とギリシャの総大将「オデュッセウス」を物語っています。

数万キロメートル隔てたギリシャと日本の書物が全く同じ記事を掲げているという驚くべき事実を無視したまま古代史を語ることはできません。


アトラスの子孫の世界三分割
ウガヤフキアエズ=アトラスの子孫についての、こうした事蹟と「古事記」「日本書紀」とを照合して見ますと、
この三者間での世界の三分割統治が行われた様子が浮上します。

  イウールス=神武天皇は、ローマ建国に携わり、のちに、東漸してアジアを統治
  イナイ王がイタリアを建国して、ウンブリアなどを拠点にヨーロッパを統治
  ミケイリノス王がエジプトを拠点に、アフリカを統治

上記の三者の父彦穂々手見命の寿命については、「古事記」が580歳と記していますので、これらは人物名というよりも王朝名であると解すべきでしょう。

「古事記」は「次に御毛沼命、次に若御毛沼命亦の名は豊御毛沼命亦の名は神倭伊波礼毘古命(神武天皇)」と記しています。すると、時代の異なる二種類以上のミケイリノスがいたことになり、ギリシャのミケーネとの関係を調べる必要がありそうです。

彦穂々手見王朝(580年)の次がウガヤフキアエス朝で、その次がローマ建国の時代であったならば、
彦穂々手見命が結婚した豊玉姫の父が「テーベ王朝」の王であると解しても歴史との矛盾がありません。

聖書はトロイア戦争と古代ギリシャについて何も語っていません。
ホメロスはエジプトについて語っているようには(表向きは)見えません。
そして、古代エジプトや古代ギリシャが、かなり、グローバルな社会であったという証拠が次々と出てきているのですから、聖書やギリシャ神話についても、重ね合わせて立体的に見直す必要があります。



メンカウラーのヒエログリフと「日本書紀」の三毛入野命
ミケイリノス王名

メンカウラーの王名ヒエログリフは、「日本書紀」の三毛入野命の表記と見事に合致しています。
三個の桝形=凹の表象は「入」は、イリ王朝(トロイア系)を示し、「三個の大ピラミッド」の表象であると考えられます。
「日本書紀」の三毛の表記からは、「毛、不毛」を、「みけ」の音からは、「御食、御饌、三宅」が想起されます。
「三毛」から、三種類の穀物、御饌を連想しますので、地中海方面の火山爆発などによる異常気象で大不作に見舞われたときに貢献したことを推し量らせるためのヒエログリフではないかと思います。

創世記41章に記されているような、「七年間もの旱魃」という恐るべき大飢饉の発生を、ヨセフが予測していたならば、穀物争奪戦争や略奪からの防災、また、炎熱や腐敗からの穀物種の保護などの目的に対して、ピラミッドのような特殊な倉庫の建造を計画したことでしょう。それは、ピラミッドのような巨石での建造以外では、略奪者の決死的襲撃から保守し得ないような状況であったと考えられます。  

また、ピラミッドは、見張りの塔、鏡による光通信の拠点、烽火通信の拠点などを兼ね、ナイル川運行の船舶やキャラバンの目印として機能した、複合施設であったと考えられます。このような目的のためには、地下の迷路や「死人に番をさせる」といったトリッキーな装置も必要だったに違いありません。

エジプトが「鏡」を神聖視した裏には、鏡による光通信ネットワークがあったと見ています。
そして、このことは、第一級の秘密であったはずです。

テーベのツタンカーメンやハトシェプスト女王の地下墳墓などを個人で見学しましたとき、アルミを貼った大きな板を持った子供たちが連携して、アルミ板を上手に扱って、地下深くの壁画のデテールを照らしてくれました。この助けなくしては、壁画の見学もままならない暗い地下のこととて、思わず子供たちにチップをはずみました。
太古においても、日中には、こうした方法で深い地下室に明かりを送っていたことが想定されます。


メンカウラー=ミケリノス王の彫像
メンカウラー王は紀元前2500年頃の王で、ギザの第三ピラミッド、一辺108メートル、高さ約67メートルのピラミッドの建設者と言われていますが、「古事記」の記事が確かなら、ピラミッドはもっと古いヨセフの時代に建造されたことになります。
ミケイリノス


1908年、ギザのメンカウラー王のピラミッドに付属した河岸神殿から、G・ライスナーの発掘によって、左のようなメンカウラー像が出土しました。

このメンカウラー王の群像は1978年4月1日から12月3日まで、日本各地で開催された「古代エジプト展」の展示品の一つとして公開されました。
普段は、カイロのエジプト考古学博物館に展示されています。


クレタ島出土の約3500年昔のファイストス円盤が日本語で読めるということは、地中海文明に私たちの祖先が寄与していたということです。そして、聖書中の重要人物ヨセフやその息子たちの消息をあかすものであり、「古事記」「日本書紀」が、こうして、古代史解明の鍵を示していることを鑑みると、「魏志倭人伝」が「邪馬台国」であるエジプトからアトランティスの首都クレタ島、ギリシャ、そしてエトルリアに至る足跡を辿らせようとしているのだということを受け止めなければなりません。

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