与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

57 ツタンカーメンは倭人

96 ツタンカーメンの謎 4

ツタンカーメンは天若彦 2

以下、すでに何度か書いたことではありますが、もう一度取り上げてみます。

「古事記」神代巻の天稚彦と下照姫の物語には、天稚彦が亡くなった後、下照姫が次のように歌ったと記されています。

それは、天若日子の喪を弔うとき、天若日子と瓜二つの友人が弔門に来ます。すると、皆が天若彦は死んではいなかったのだと嬉し泣きをします。その天若日子と瓜二つの人物、阿遲志貴高日子根は、「吾を穢き死人に比ふる」と言って怒り、十掬剣(又の名、大量、神度剣)を抜いてその喪屋を切り伏せたのです。そこは「美濃国の藍見河の川上の喪山」だといいます。
続いて、その同母妹の高比売命、又の名下照姫が、次のような謎詩を詠います。

  天なるや  
  弟棚機の 項がせる
  玉の御統(みすまる) 御統に
  足玉はや
  み谷 二渡らす 
  阿遲志貴高日子根の神ぞ 


トト・アンク・アメンの妻アンケセアメンである下照姫が詠った歌というこの歌を検証してみましょう。


「棚機」という言葉で、天の川の七夕を連想させ、「古事記」の神宝製作の場面の「天の安の河原」を示唆しているのです。
この天の河がナイル川であることは、「オリオン・ミステリー」にくわしく説明したことですのでそれを参照してください。
要約しますと、イギリスのロバート・ボーヴァル&エイドリアン・ギルバート著「オリオン・ミステリー」(NHK出版1995年)において、ロバート・ボーヴァル氏は「ギザの大ピラミッド三基をはじめとするピラミッド群は、オリオン座と天の川を地上に投影する形で建設されている。」と説いています。 

ロバート・ボーヴァル氏は、エジプトのピラミッド群の設計は、ナイル川を地上の天の川に見たて、オリオン座のベルトの三ツ星に対応してギザの三大ピラミッドを配置してあると説き、その証拠として、オリオン座の三ツ星の写真にギザの三大ピラミッドの航空写真を重ね合わせると見事にぴったり一致していることを示しています。

また、ギザの三大ピラミッドに限らず、メンフィスにある第四王朝のピラミッドにも、オリオン座の主要な七星のうちの五つが対応すること、さらに、オリオンの頭部を形成している三つ、もしくは四つの小さな星がアブ・シールにある三基ないしは四基の小さなピラミッドに相当していると云い、また、足、ベルト、肩といった具合に、星々とピラミッドが対応しているといいます。
下照姫の「天なるや 弟棚機の 項がせる 玉の御統(みすまる)」が暗示している「天の川、天の安河」とは、このナイル川を指しているのです。それは、ピラミッド群をも含めた範囲のことです。

日本では古来、プレアデス星団をすばる(昴)と呼んでいました。「すばる(統ばる)」または「すまる(統まる)」という言葉は、「すべる(統べる)」からきており、「統一されている」「一つに集まっている」という意味をもつといいます。

下照姫は、棚機姫として伝わっている昴(すばる)星座すなわち、プレアデスple iades(p-eleia-des)を「玉の御統(みすまる) 御統に」といって、注意を促しています。
また、玉飾を糸でひとくくりとしたものを「万葉集」で「須売流玉(すまるのたま)」、「日本紀竟宴和歌」で「儒波窶玉(すばるのたま)」などと呼んでいました。
これらは、「古事記」神代巻に記されている「八尺の勾璁(まがたま)の五百津の美須麻流珠(みすまるのたま)」という「日本の三種の神器」の一つをも指すのです。

以上、この歌が「みすまるの玉」という御神宝について謎掛けしていることがわかります。


また、奈良時代に成立したとされる「丹後国風土記」逸文には、浦島子(浦島太郎)が蓬莱島で出会った「其七豎子者(七人の童子)、昴星也。其八豎子者、畢星也」という記述があり、昴(すばる)星=プレアデス星団、畢(あめふり)星=ヒアデス星団の二つの星団がアトラスの子供たち、すなわち、アトランティスを星座化したものであることを示唆しています。

プレアデスの星々には、アトラスの娘たちの名がつけられていますが、それは日本においても七夕七姫として名付けられています。

 マイア(Μαια; Maia) 秋さり姫
 エーレクトラー(Ηλεκτρα; Electra) 糸織姫
 ターユゲテー(Ταυγετη; Taygete) ささがに姫
 アルキュオネー(Αλκυονη; Alcyone) 百子姫
 ケライノー(Κελαινω; Celaeno) 梶の葉姫
 アステロペー(Αστεροπη; Asterope) 朝顔姫
 メロペー(Μεροπη; Merope) ともし火姫 夕顔

そして、八乙女のうちの一人は、天から落ちたので、七人になったと伝えられています。

この肉眼では識別し難いプレアデス星団が、3600年も昔に、ファイストス円盤上にちゃんと描かれているということを先に述べました。


プレイアデス星座 ワトソン図

上のClaire Grace Watsonさんの作図によるプレイアデス星座は、次のような刻印を繋いで出来たものです。
lion ワトソン図

ワトソンさんはこれを雌ライオンととっていますが、私は、犬=シリウス、そして、日と火を表しているとして、ファイストス円盤のB面を読み解きました。
シリウスは「火花を散らす」「焼き焦がす」「輝くもの」の意で、ギリシャ語ではセイリオスです。
シリウスは、おおいぬ座にあって犬星と呼ばれている星につけられた名前として有名です。
エジプトではソティス、ナイルの星シホールと呼ばれ、特に古代エジプトでは季節の始まりを示す星として崇められてきました。
そのため、エジプトではシリウスは女神イシスと同一視され、崇拝されていたそうです。
すなわち、シリウスはイシスの知恵のシンボルでもあるのです。
イシスがイセであり、イリスであることは先に説明しました。


プレイアデス星座と「南総里見八犬伝」
「ファイストス円盤」に、Claire Grace Watsonさんの作図によるこのプレイアデス星座図が出現したことによって、「南総里見八犬伝」もまた、アルゴ船や聖書の解明を補佐する書物であることを証明できます。
「南総里見八犬伝」は、江戸時代後期に曲亭馬琴(滝沢馬琴)によって著わされた全98巻、106冊の大作です。
文化11年(1814年)に刊行が開始され、28年をかけて天保13年(1842年)に完結したといいます。
それが、3600年も昔のクレタ島の「ファイストス円盤」とリンクしているとは信じがたいと思いますが、「古今伝授」という歌学伝授を装った預言者の伝授事項の一部を滝沢馬琴に伝授して託したと考えれば不思議ではありません。

「南総里見八犬伝」の全98巻、106冊の大作の物語を一行で説明しますと、「八犬がそれぞれ持っていた「仁義礼智忠信孝悌」の文字が浮きでた八つの珠にまつわる話」です。
「南」はエジプト、「総」は、すばる星の「すべる(統べる)」を連想しますし、玉飾を糸でひとくくりとしたものを「万葉集」で「須売流玉(すまるのたま)」、「古事記」でいう「八尺の勾璁(まがたま)の五百津の美須麻流珠(みすまるのたま)」・・・を想起させる物語です。
そして、ファイストス円盤、における「昴(すばる)星座」の構成要素が「犬」を繋いでできているということと見事に符合するのです。

「南総里見八犬伝」では、それらの八玉が、「四天王の目玉となる」という結末になるという深淵な物語りです。
日本の神宝「みすまるの玉」が、プレイアデス、すなわち、アトランティス=トロイアゆかりのものであり、それは、エジプトのイシスのシリウスやトト・アンク・アメンと関係あることを下照姫の歌はものがたっています。

今回のブログの冒頭で、天若日子と瓜二つの阿遲志貴高日子根が、「吾を穢き死人に比ふる」と言って怒り、十掬剣(又の名、大量、神度剣)を抜いてその喪屋を切り伏せ」た場所を「美濃国の藍見河の川上の喪山」であると「古事記」に記されていると書きました。
「喪屋を切り伏せ」とは、ツタンカーメンの墓の痕跡を絶ち、これを伏せたことを意味して、「美濃国の藍見河の川上の喪山」とは、ナイル川の川上、即ち、ルクソールの王家の谷を示唆していると考えられます。
とすれば、美濃国とはミーノス王の国であり、ルクソールはミーノス王の領地であったことが伺われるのです。

また、阿遲志貴高日子根が、十掬剣(又の名、大量、神度剣)で喪屋を切り伏せた。とは、何を告げようとしているのでしょう。
「十掬剣」は日本神話に何度も登場する剣で、「十握剣」「十拳剣」「十束剣」などと表記されており、また、天之羽斬、天之尾羽張、伊都之尾羽張などという呼び名を持っています。三種の神器の一つである「草薙の剣=天叢雲剣」に次ぐ重要な剣です。

この剣の最初の持ち主は伊邪那岐命で、素盞鳴尊に継承され、出雲神話の中に出てくる八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した時の剣と伝えられており、また、彦穂々手見命が継承し、神武天皇が所有していたという大変な代物です。
しかし、前にも述べましたように、この「トツカ」とは「トスカ」即ち、イタリアの「エトルルリア」の事であろうと考えられるのです。
エトルリア Etruria は、紀元前8世紀から紀元前1世紀ごろにイタリア半島中部にあった都市国家群です。ギリシャ語ではティレニア Tyrrheniaといいますが、トスカーナToscanaというのもエトルリアのことなのです。

トツカの剣が初めて神話に登場するのは、イザナギ(伊弊諾 伊邪那岐)とイザナミ(伊弉冉 伊邪那美)の神産みの場面です。
天地開闢の後、国産みを終えたこの二神は、次に数多の神々を産み出していきます。そして、この神産みのはてに、カグツチ(加具土 軻遇突智)を出産したイザナミは、カグツチの炎で女陰(ホト)を焼かれ、その傷がもとで黄泉に行ってしまいます。
そこで、イザナギがトツカの剣でカグツチを切り伏せます。

これは、「イザナミ」が日本の倭のことで、「ホト」がヘテ、即ち、ヒッタイトであるとわかれば、簡単に解ける謎です。ヒッタイトの製鉄所であるカグツチを切り伏せて、以後は、イタリアのトツカに拠点を移してしまったことの寓意なのです。

ヤマタノオロチ退治の時にスサノオが使った十拳剣を天羽々斬(あめのはばきり)といいます。
「はばきり」という言葉が「ハパルキ、即ち鉄」のアナグラムになっています。
そして、このトツカの剣はヤマタノオロチを切るときに、その尾の中にあった草薙剣に当たった時に刃が欠けたとしていますので、トツカの剣とクサナギの剣では製鉄方法が若干異なっているか、鉱石や砂鉄の質の優劣があるということを暗示しているように思えます。

なお、このヤマタノオロチ=ヤタノオロチとは、アナトリアのヤズルカヤのアナグラムであり、ここを切り伏せて(切り捨てて)原料豊富、かつ、トレードに至便なトツカ(トスカーナ)へ「製鉄コンビナート」を移したというのが真相でありましょう。

スサノヲは、アシナヅチ(足名椎命)・テナヅチ(手名椎命)いう夫婦とその娘(櫛名田姫)の窮地を救うためにヤマタノオロチを切ったのでしたが、このアシナヅチ・テナヅチの足とは足の形のイタリア、手とは手の形のペロポネソス半島を持つギリシャのことですから、エトルリア=トスカーナ=トツカの話も理解しやすくなると思います。
ツチというのは、製鉄のシンボルです。


我が国には、「古今伝授」という一子相伝の歌学の秘伝がありました。そのテキストのうちで、重要視されていた一冊に「在五中将 在原業平」の物語があります。
この在五=ザイゴがアルゴであり、アルゴ船団の消息を伝えていると思われるのです。
そして、その、中心テーマは、「在語」すなわち「ことばありき」で、「ヨハネの福音書」が伝えるところの「はじめに言葉ありき」「言葉は神なりき」です。
「在五中将 在原業平」の奥義は「言問い」であり、「都鳥=都獲り」、すなわち、エルサレム問題です。
それは、墨田区の「言問橋」にその名を刻みつけてあります。
「在五中将 在原業平」の物語は「伊勢物語」というほうが一般的です。「伊勢の御神宝」が本来「日本国を幸わう言霊」であることが暗示されているようで、「万葉集」で、それを「我が日本国を幸わう言霊」と詠われれています。

それゆえ、アルゴ船には50人の乗組員が乗ったという伝説は五十音を意識してのことです。
オルフェウスも主な乗理組員の一人ですが、オルフェウスとは、黄泉に下った妻エウリュディケを連れ戻すべく黄泉に行って竪琴を弾いた人物です。そしてそれは、ダヴィデやダヴィデの詩編と連携しているばかりではなく古事記の伊邪那美を連れ戻しにいった伊邪那岐にリンクしているのです。

オルフェウスは、オシリス=オリオンの亦の名でアスクレピオスのことでもあることは、「オリオンミステリー」のところで書いておきました。

ところで、古今伝授の真の奥義を知っていた人は、常に一人か二人しかいなかったようです。
そして、江戸時代にはいたようですが、ついに、一人もいなくなりました。
「南総里見八犬伝」のほかに、「奥の細道」や「忠臣蔵」が、日本の秘密の一部を語っていることはあきらかです。
「大石内蔵助」の名前も絶妙です。また、「いろは四十七士」とは、「日本の五十音」とアルゴ船の五十人を連想させます。
「大石内蔵助」は、戯曲では「大星由良之助」とされていました。「大星」とは、オリオン=アスクレピオスの星にしてダヴィデの星です。ダヴィデの星をその息子のソロモンは百合の花で表現していました。ユリはユリガネ、即ち黄金のことでもあるのです。
ユリガネとは、毛皮の上に砂金の混じった砂を流して、毛皮をゆらゆらと揺らして砂金だけを毛皮に付着させて採った砂金のことです。「ユラノスケ」の名に、この情報が込められています。
敵役の「吉良」がすごい!キラとは雲母のことで、雲母のあるところは金脈に近い場合が多いと言います。

アルゴ船は「金の羊毛」を積んだ船のことですが、それは、「ソロモンの黄金」と合体しますから、ソロモンの財宝と同義語なのです。

アルゴ船にはオデュッセゥスの父も乗組員の一人として登場しますが、オデュッセゥスすなわち、ユリシーズは、日本では「百合若大臣」という名で伝わっています。その黄金と日本の関係が証明できれば、ユリシーズもモーセもダヴィデもソロモンも日本人であることがはっきりするのです。

聖書、ギリシャ神話、古事記などの文献は幾重にも連携して謎解きの解明をバックアップするように編纂されていますが、意外にも、「魏志倭人伝」が大きな役割を担っていることがわかっていただけたとおもいます。


日本の御神宝の本物は、天の羅馬船(かがみのふね)に載せ置かれた御樋代(みひしろ)という黄金の缶に入れられており、その黄金の缶は羊毛と麻を撚り合わせた五色の糸で織られたご衣裳に包まれています。そのご衣裳(袋)の上から五色の絹糸を架け渡して幾重にも封印されています。
また、「天の羅摩船に乗りて鵝の皮を内剥に」した衣服を着て、帰り来る神の名は「少名毘古那神」であることが「古事記」神代巻に書かれていますが、これは、恵比寿神=夷神のことです。

第一に、これを「金の羊毛」というものと考えられますが、これは東京以北に存在します。

第二に、これとは別の、黄金そのものを「金の羊毛」と言っていることも十分考えられます。片方を胎蔵界、もう一方を金剛界と伝えていると考えられますが、木村鷹太郎氏は、この金剛界とはアフリカのコンゴに由来すると言っておられます。
第二のケースの追及については、わたくしはノータッチでいこうと、ずーっと避けています。

56 ツタンカーメンは倭人

95 ツタンカーメンの謎 3

ツタンカーメンは天若彦
「古事記」「日本書紀」の神代巻に、高御産巣日神と天照大御神の命令により「天の安河の八百万の神を神集へに集へて」協議をするというシーンで、この天若彦が出てまいります。
神々が会議に召集されたのは、豊葦原の千秋長五百秋の水穂国が騒然とした世上となっているからだと説明されています。
「葦原中国はわが御子(正勝吾勝勝速日天忍穂耳 アメノオシホミミ)に統治する国として委任した国である。ところがこの国には暴威をふるう乱暴な国つ神どもが大勢いるので、誰を遣わしてこれを平定したらよいだろう」と仰せになり、天菩比神を遣わしたのです。しかし、彼は大国主神に媚びついて、三年たっても復命しません。そこで、次に天若彦を遣わすことになるのです。

天若彦は、天之麻迦古弓と天之波波矢を賜って、その国に遣わされます。ところが、天若彦はその国の大国主神のむすめ下照姫を娶ってその国を獲ようと慮ってしまい、そして八年の時が過ぎてしまったのです。
天若彦が「下照姫を娶って、その国を獲ようと」図った「その国」とは「黄金に富むエジプト」であり、天若彦がエジプトのファラオになりたいという野望を抱いたのであり、それは、少なくとも外面的には、兄妹や親族のなかで最も華やかな王になることを意味します。
しかし、実は、この下照姫と天若彦はアンケセアメンとツタンカーメンという兄妹なのですから、王朝に、ますます幾重にも不吉な暗雲がたちこめることになったのです。

そこで、遣わされたのが「雉、名は鳴女」で、天若彦の門の「ゆつ楓」の上に止まって、天つ神の詔命を委曲を尽くして伝えましたが、「天探女」の進言によって、天若彦は、「天つ神から賜った天の櫨弓と天の鹿児矢」を執って、雉を射殺してしまいます。
雉を射た矢は、天の安河原にいます高御産巣日神や天照大御神の御前に届きます。
そこで、高御産巣日神は、この矢はわたしが天若彦に与えた矢である。もし天若彦に邪心があるならば天若彦はこの矢にあたって死ね」と仰せられて、その矢を投げ返されたところ、その胸に命中して天若彦は死んでしまったと記されています。

天若彦に遣わされた「雉、名は鳴女」とは、いったいどんなことを示唆しているのでしょう。
それは「名が鳴女」即ち「ナガナキ」女であり、天岩戸の場面で登場する鳥「ナガナキ」鳥と同種の神鳥です。
「古事記」「日本書紀」の天照大御神が天岩戸に籠られたとき、岩戸の前で鳴かしめた「常世の長鳴き鳥」のことなのです。それは、柿本人麻呂が「あしびきの山鳥の尾のシダリオのながながし夜をひとりかも寝む」と詠んだ山鳥=日本=トロイア=トリであることを示唆しています。

すなわち、長い間名が埋もれてしまうトロイア日本、アイデンティテイーを喪失し、名声を失くしてしまった日本にまつわる神聖な使いなのです。

この「ナガナキ」雉が止まっていたのが、天若彦の門の「ゆつ楓」という神聖な樹の上であることは、「世界樹」に関する重要な「きじ」であることを意味しています。

これは、ホメロスの「イーリアス」の中で、トロイ戦争の原因が、アキレウスの父母のペーレウスとティティスの結婚式にあり、この婚儀が原因で、ヘスペリデス(不死の庭園)の黄金の林檎(世界樹)をめぐって、殊にヘーラー、アテーナー、アプロディーテーの三女神による激しい対立が起こり、これに神々全てが巻き込まれる争いに発展したことが語られているというその記事に対応していることを示しているのです。
聖書では、「エデンの園の命の樹」にまつわる神話として語られています。
そして、天若彦にまつわる一連の記事は、天若彦が高御産巣日神や天照大御神の託した使命に背き、預言者(しかも自国の預言者)を殺しトロイアを滅亡に追い詰めたことの報いとして殺されたという内容です。


また、「古事記」のこの記事において、天若彦の弓矢は極めて重大な使命と神秘力とを含めて語られています。
敵側と味方側の弓矢が「同一」であったことを語って、同族の同士討ちとなってしまったことを暗示していますし、天若彦が、「和平」の使命に反して、しかも、身内に刃向かって「戦争」を遂行したことを意味しています。
また、この弓矢は単なる弓矢ではなく、天若彦に託されていた武器全般、戦車までも含まれると考えられますが、一方で、「恵穂葉神=矢羽=ヤハ」の象徴物としての弓矢であり、弓型の日本の象徴の可能性すらあるのです。

さらに、重要なことは、「古事記」「日本書紀」のこうした記事は、過去と未来を同時に委曲を尽くして伝えるという高等技術を駆使していることを理解することです。

日本では、これは「大国主の国譲り」という事件の一場面でもありますが、歴史的にみますと、「トロイアの移遷」であり、聖書的には「出エジプト」となります。

こうした、国際的にみても非常に重要な問題を孕んでいる記事ですから、ここで強調されている武器、弓矢などという言葉にも注意を払わなくてはなりません。

その弓矢は「天の安河」に届いたと書かれています。
天の安河とは天の川のことで、天若彦は天の川の伝説や行事と結び付けられて、三千数百年もの永きにわたって語り継がれているのです。
そして、天の安河とはナイル川のことなのです。くわしくは、このブログの「オリオンミステリー」を参照してください。
ナイル川のテーベにあるツタンカーメンの墓から出土した「ツタンカーメンの弓矢をつがえている肖像画」に注目してみましょう。
この弓は「大弓」とよばれるものです。


「夷=えびす」という字をよく見てください。「大弓」の文字が組み合わせからなる文字なのです。
また、鉄には、「銕」という字もあり、てつ、即ち、くろがねのことです。
日本の恵比寿様は釣竿と糸を持っておられますが、これも大弓と弦の化けたものでもあると考えられます。

また、ギリシャ神話では、弓矢はアポロンの持ち物、あるいはキューピットの持ち物として有名です。

神話では、ヘリオス(太陽神)の子(アポロン)は、日輪を運ぶ父の四頭立ての馬車を馭してみたいと願い、父に強引にせがんで馬車を借り受けて馭します。しかし、その技量がなくて、馬車はふらふらと軌道を逸れて暴走してしまい、ために、地は焼け焦げめちゃめちゃになってしまいました。それ以上の害を避けるために、ゼウスの雷に撃たれてしまい、太陽の子は馬車もろともエリダノス河に落ちてしまいます。

この神話は、ツタンカーメンにもあてはまりますし、明治以来の日本にも当てはまります。
エリダノス河とは古来謎とされていましたが、ナイル川、また天の川=天の安河であることについては、このブログのオリオンミステリーの項目で説明しております。





55 ツタンカーメンは倭人

94 ツタンカーメンの謎 2

ツタンカーメンは倭人
このことを検証するまえに、ツタンカーメンがアキレウスであり、さらに、トロイア王子のパリスであるという私の大胆な仮説について説明したいと思います。

ホメロスの大叙事詩「イーリアス」の主人公がアキレウスであるというのは非常に不思議なことです。
トロイア戦争の原因がアキレウスの母ティティスの結婚にあることも謎です。
トロイア滅亡の戦記である「イーリアス」は、本来ならば、トロイア滅亡の原因となったトロイア王子ヘクトールかパリスが主人公のはずです。しかし、アキレウスとパリスが同一人物であれば、ホメロスの「イーリアス」の主人公がアキレウスであるという構成の謎が一気に解決します。

パリスのトロイア王子としての本名がアレキサンドロスであるというのもアキレウスのアナグラムを取り入れたことを思わせる材料です。
アキレウスとパリスの死亡はほとんど同時であり、アキレウスはパリスに殺されるという形での終焉となっています。

トロイア王子パリスには、イーデー山に捨てられ、羊飼いに育てられるという生い立ちがありました。
アキレウスも父母のもとでではなく、ケイロンという「半人半馬」に養育されたという生い立ちがありました。しかし、この「半人半馬」とは「半人半牛」のクレタ島の別称であると考えられます。
イーデー山は現在のトルコにありますが、イーデー山はクレタ島にもあり、そこは、ゼウスが養育されたという伝説の地でもあります。神々の王ゼウスは、宇宙と天候を支配する全農の神ですが「雷」性を帯びることがあることでも知られています。

ツタンカーメンがアキレウスにしてトロイア王子パリス、又の名アレキサンドロス(アレキサンダー)であると、わたくしは解しているのですが、アレキサンダーとは、このゼウスの雷電の属性を表す言葉であると
思います。

後の有名なアレキサンダー大王もこの一族であり、そのゆえにゆかりのあるエジプトにわざわざ「アレキサンドリアという大都市を建設したものと考えられます。
アジアでは、アレキサンダー大王は「角がある人」と伝えられていますが、モーセもまた同じです。
角が角(かど)でもあるという日本語でなくてはこの謎は解けません。角産(カドムス)即ちピラミッド建造者としての誇りを表したもので、コンパスと定規をシンボルにしていたアトラスの表象なのです。
角を付けたアッシリア王像やコンパスと定規そしてピラミッドをシンボルとして使用しているフリーメイソンなどは、真似をしているだけです。

モーセの神宝を運び出したはアジスキタカヒコネの命です。すなわち、モーセもゼウス一族なのです。

「古事記」「日本書紀」のアメワカヒコがエジプト王ツタンカーメンで、かつトロイア王子パリス(アレキサンドロス)ですが、その妻の下照姫の兄アジスキタカヒコネが、一族の神宝を持っていることを、「古事記」の下照姫が謎詩であかしています。




ツタンカーメンとオイディプス悲劇

ツタンカーメンの別名にはエテオクレースEteocles(真のクレタ人)というのもあるのです。
ホメロスは「オデュッセイア」において、「クレタ島には、アカイア人あり、大いなる心のエティオクレース人あり・・・」とオデュッセウスに語らせています。

エテオクレースは、ギリシア悲劇に登場する人物で、テーバイ王オイディプスと、その母であり妻となったイオカステーの息子です。
すると、オィディプス王とイオカステーは、アクエンアテン王とテイィであり、それはペーレウスとティティスということになります。

ペーレウスとティティス
ペーレウスとティティス 460 BC ルーブル美術館蔵 ウィキペディアより

これが、トロイ戦争の発端となった「アキレウスの父ペーレウスと母ティティス」です。
この図柄は息子が母を犯しているシーンに見えてしまいます。
ルーブル美術館がペーレウスとティティスのこうした図柄のギリシャの壺や皿をいくつか所有していますが、ウィキペディアでの説明には、「ペーレウスにレイプされているティティス」となっています。
「オィディプス王」の劇では、神託によって「他国へ捨てられた息子」であるとなっています。

実際アクエンアテン王の振る舞いとそれに続くツタンカーメン王の近親結婚によって、エジプト(実はトロイアも)が大混乱になり、その後の地中海の諸国の衰退をきたしていますので、史実とわたくしの仮説はうまくかみ合っています。


オイディプス(テーバイ王)から

父オイディプス(テーバイ王)が自分の出生の秘密と神託の真実を知って、アンティゴネー、イースメネーを伴い国を出ます。
その秘密とは、テーバイの先王ラーイオスに「男の子が生まれたら、その子に王は殺され、王妃(母) を妻にして子をなす」という神託のことでした。そこで、王はわが息子の殺害を依頼したのですが、その子は殺されずにコリントス王の息子として育てられます。こうして、その素性を知らないまま成長し、行き違いから預言の通りにラーイオスを殺して王妃(母)イオカステーとの間にエテオクレースのほかに、兄ポリュネイケース、 姉アンチゴネー、姉イースメネーが生まれたのです。、、

この恐ろしい真実を知って、オイディプスが出て行ったあと、エテオクレースは兄のポリュネイケースと一年おきに国を治めることになりますが、その兄を国外追放して国を独占します。
そして、国を逃れてアルゴス王アドラーストスの娘と結婚したポリュネイケースとエテオクレースは、戦闘で相討ちとなり死亡したといわれています。


この、テーバイとは、あたかもギリシャのテーバイであるように工作してありますが、実はエジプトのテーベ王朝のことであり、オイディプスとはエジプト王という意味だったのです。
ギリシャ非劇と解釈されていたこの近親相姦の悲劇は、じつは、エジプトの王朝にしてトロイア王朝の悲劇を脚色したものだったということになります。

この仮説が正しいかどうか、2012年8月11日の土曜プレミアム「独占解明!誰がツタンカーメンを殺したのか?~謎の少年王・悲劇の生涯」と照合してみるとよくわかります。

この番組で、ツタンカーメンについての謎を追及する元エジプト考古庁長官のザヒ・ハワス博士の研究結果によれば、ツタンカーメンの祖父は、アメンホテプ3世。祖母はティイ。

その二人の間に生まれたのがツタンカーメンの父親であるアクエンアテン王です。


最近のDNA鑑定の結果、ツタンカーメンの母親は王妃ネフェルティティでなく、父親アクエンアテンの妹もしくは姉のどちらかだと判明したそうです。
つまり、ツタンカーメンは、兄弟と姉妹の間の子供だそうです!!
しかし、戯曲では、父アクエンアテンの母ティイが母であるということになり、すると、このティィがティティスとなります。どちらにしても近親相姦の悲劇には違いがありませんから、生まれてすぐにケイロンに預けられるのも無理ありません。

ツタンカーメンもまた2歳年上の姉アンケセナーメンと結婚します。
アンケセナーメンは、父親アクエンアテンと美貌の王妃ネフェルティティとの間の子供ですから、ツタンカーメンとアンケセナーメンは父親を同じくする異母姉弟間で夫婦になったということになります。
しかも、アンケセナーメンは、その前に、父のアクエンアテン王と結婚して自から王妃となっていたのですが、その二年後にアクエンアテン王が死亡した・・・という前歴があります。

なぜ、こんな、親子兄弟姉妹間の結婚が続いたのかといえば、それは、エジプトが実はトロイアであり、ヒッタイトであり、ギリシャであり・・・という多重国家だったことにありそうです。つまり、エジプトもトロイアもクレタ島もヒッタイトも「アトランティス」だったのであり、このことは、ごく少数の王や神官しか知り得ない秘密だったことが混乱の大きな要因であったと考えられます。

そして、王子たちを、「神託により捨てる」と称して、あちらこちらの国々に送り込んだことが、混迷に拍車をかけたと考えられます。
エジプトにおいて、モーセが赤ん坊の時に「葦船に乗せて捨てられた」というのは、聖書に記されている有名な記事です。そうしてエジプトでは、かの「出エジプト」がなされました。
トロイア戦争は「出トロイア」とも言えます。両者は、同じ事件なのです。

日本では、「古事記」の神代巻に、「伊邪那岐命と伊邪那美命との間に生まれた子ヒルコを葦船に入れて流し去てき」と記されています。
ヒルコとは、エジプトの「太陽の都」ヒルコン、即ち、ヘリオポリスのことであると木村鷹太郎氏は説いています。

日本では、この「ヒルコ」は、水蛭子、蛭子神であり、恵比須、即ち「エビス」とも言われて、「大黒様と恵比寿様」一対の福の神として知られています。これは、「大国主と少彦名」のことでもあるのです。

また、「出エジプト」が「出トロイア」であり、のちに「出ヒッタイト」ともなったという経緯を「証拠づける文書」、それこそが「ファイストス円盤」なのです。
すると、それは同時に「アルゴー船」の消息についてもわが日本がカギを握っていたということを「ファイストス円盤」が明かしていることになります。

そして、ツタンカーメンが倭人であることが明らかになった今、エジプトの黄金文化とアルゴー船の金の羊毛伝説とが結びつく可能性が大きくなってきたのです。
それが、「ファイストス円盤」が偽物であるなどというとんでもない偽情報を天下のタイムズ・オンラインともあろうものが世界に発信しなければならない第一の要因なのです。
そして、「ファイストス円盤」中に秘められているアルゴー船星座、牡牛座星座、スバル=プレアデス遷座、ピラミッド図・・などを、英語でのグ・グ・検索から殆ど辿れないように隠してある理由の一つです。

しかし、日本人以外では決してこの秘密を解明し得ないことがあきらかですので、わたくしのブログは抹殺されないで辛うじて生き延びさせられているのです。





54 ツタンカーメンは倭人

93 ツタンカーメンの謎 1

土曜プレミアム「独占解明!誰がツタンカーメンを殺したのか!? 謎の少年王・悲劇の生涯」
2012年8月11日(土)フジテレビ の上記の番組を見ました。

ツタンカーメンの死因 最新の情報

山本正二・高野秀行医師が、5195枚のCT画像を解析して下した「死亡時画像診断」
ツタンカーメンの死の真相を解明するのは、おなじみの元エジプト考古庁長官ザヒ・ハワス博士。しかし、今回は、世界的にトップクラスの日本の死亡時画像診断(通称AI)技術を駆使して、その死因を究明する!というものでした。
それは、まるで、アメリカドラマの「CSI科学捜査班」や「BONES」の世界!!

世界に10台しかないアメリカANATOMAGE社の最新のAIがスタジオに登場、
最近は、AIを使って、遺体を解剖せずに死因を解明する方法が進んでいるとの説明がありました。
そのAIのエキスパートである山本正二・高野秀行医師が、今年5月、東京で、独占入手したツタンカーメンの5195枚のCT画像を「死亡時画像診断」した結果の所見を発表したその内容で、下記のような診断内容した。

 全体の状態は骨だけでなく軟部組織も残存しており、左足ひざ関節がポイント。
 これは高原骨折と呼ばれる特殊な折れ方、
 内反足の影響で膝が内側に曲がったと推測される。
 
 さらに、ほお骨の下の穴など13ヶ所にもわたる不可解な傷を発見、
 これらの傷跡は、現代の交通事故による損傷によく似ている。
 
 ツタンカーメンを死に追いやったのは、チャリオットという戦車に乗って疾走中の、
 突然の強い衝撃が原因とおもわれる。

チャリオット 
ツタンカーメンのチャリオット

という「死亡時画像診断」。そして、ツタンカーメンを死に追いやった一部始終をCGで再現していました。


これは、まったく予期せぬ展開で、いささか驚きました。
海外でも、もちろん、最先端科学の装置で「死亡時画像診断」がなされたことがあり、
それらは、ザヒ・ハワス博士の立ち会いのもとで調査されており、
その都度、テレビやインターネットで逐一その成果が発表されています。
しかも、2頭の馬が引くチャリオットという戦車から落ちた後にマラリヤで死んだという診断が、
既に発表されています。

しかし、その、ザヒ・ハワス博士も、大いに満足された最新の診断が、
この山本正二氏と高野秀行氏が13か所もの傷や骨折を見出だして、これを解析した診断なのです。

山本正二氏と高野秀行氏の診断から
このツタンカーメンのミイラの別名を想定することができました。
このミイラは、アキレウスのものだと思います!!!


ホメロスの「イーリアス」の冒頭
ホメロスの「イーリアス」と「オデュッセイア」は、一筋縄では扱えない高度な技法を駆使して書かれているように思われます。
「イーリアス」の最初の行は次のようになっていることが、わtがくしの長年の疑問でした。

  怒りを 歌いたまえ、ムーサよ、
  ペーレウスの息子アキレウスの怒りを……

ホメロスが、「イーリアス」のこの最初の一行で、「トロイ戦争の発端を、アキレウスにダイレクトに結び付けている」のはなぜ? この書き出しはわたくしにとって大きな疑問点でした。
「イーリアス」は、トロイアの国と王家の壊滅のいきさつを書いている叙事詩であるはずなのに、主人公がアキレウスであるというのはおかしな話です。

次に、トロイ戦争の原因が、アキレウスの父母のペーレウスとティティスの結婚式にあるという不思議があります。
この婚儀が原因で、ヘスペリデス(不死の庭園)の黄金の林檎(世界樹のシンボル)をめぐって、殊にヘーラー、アテーナー、アプロディーテーの三女神による激しい対立が起こり、これに神々全てが巻き込まれる争いに発展したと語られています。
また、この戦争の要因となった重要人物が、トロイアの王子パリスまたの名アレくサンドロスであるというのも謎です。

この「アキレウスの父母のペーレウスとティティス」が、エジプトのファラオと王妃であったという新事実が浮上するのであり、それなら、現実の世界史とかみ合います。
しかも、アキレウスの父のペーレウスとは、トロイア王を兼ねていたということも浮上するのです。

黄金に埋もれていた若きエジプト王ツタンカーメンがアキレウスであれば、ホメロスの「イーリアス」の冒頭がアキレウスで始まり、「イーリアス」の主人公がアキレウスであるという不可解な構成の謎が一挙に解決できます。
それは、ツタンカーメン=アキレウスは、実はトロイアの王子パリスまたの名アレキサンドロすでもあったということが隠されており、だからこそ、「イーリス」の主人公たりうるのです。


トロイア戦争という悲劇は、大体において、今日でいうところのアジア、ヨーロッパ、アフリカ勢の富や資源をめぐる覇権争い、即ち、世界大戦であることを意味しています。
トロイア戦争を以って、後期青銅器が終わり鉄器時代の世の中になったと言うのが定説ですが、ヘシオドスは「神統記」の掉尾を、オデュッセウスとアイネイアスのイタリア建国で飾って終えています。

我が国の「古事記」「日本書紀」の神代巻も、神武天皇(イワレヒコ=イウレウス即ちトロイアの王子)と稲氷命(アイネイアス)の海原(ウンブリア)などのイタリア(足一ツ騰宮)の建国で終えているのです。
その直前に詳しく書かれているのがアメワカヒコの死にまつわる記事なのです。そのときに、アメワカヒコに瓜二つのアジスキタカヒコネが出てきますが、これが、あの有名なアレキサンドロスつまりアレキサンダーの祖先なのです。
アメワカヒコとアジスキタカヒコネは別々に育てられていましたから兄弟であるとは知らなかったという設定で書かれていましたが、どちらもゼウス即ち「雷神」と呼ばれていた一族です。
葵祭で有名な上賀茂神社の祭神は賀茂別雷です。その母の玉依姫は、玉依姫の父の賀茂建角身命と一緒に賀茂御祖神社(通称下鴨神社)に祀られています。玉依姫とはイーリス即ちトロイアのことです。

ゼウスは、日本では大物主と言われていて、「赤い矢に化けて勢夜陀多良比売のホトを突いたら子供ができた」という記事は、ホトはヘテ即ちヒッタイトのこと、赤い矢とはかのアカイヤのことです。
勢夜陀多良比売とはトロイアを暗示しています。そして、この間に生まれた賀茂別雷とは、アジスキタカヒコネにほかならず、ツタンカーメンの兄弟です。
アジスキタカヒコネは、「古事記」で、アメワカヒコの妻の下照姫が、謎詩でミスマルノ玉に関係づけていますので、神宝の首飾りを持ってトロイアを脱出したアイネイア(稲氷命)であることがわかります。
では、オデュッセウスは?といいますと、彼も同じです。
オデュッセウス=ゼウスがヒッタイトを終焉させて、イタリアのトスカーナで大規模の鉄鋼業を始めたいきさつが浮かび上がるのです。ヒッタイトの製鉄を永年隠したのと同様に、次の製鉄所エトルリア=トスカーナ(トツカの剣)を隠さねばならなかったために、このような複雑な戦略と物語の構成が必要だったのです。


トゥト・アンク・アメンの足とアキレウスの腱

アキレウス
海の女神テティスはアキレウスを不死身にするためにスチュクス河に浸したのですが、くるぶしのところだけが不死身ではなかったといいます。
それは、アキレウスは完璧であったが、足のくるぶしに弱点があったということのレトリックです。
戦争で陣頭指揮をとらなければならない王族として、足に弱点があれば、出陣しなくてすみますから、ある意味で「不死身」なわけです。

テティスは、アキレウスがトロイア戦争に加わると命を落とすことを予言し、アキレウスをスキューロス島に送り、女装させて王女たちの中に紛れ込ませて隠しました。
しかし、どうしても、この戦争に彼を引っ張り出したかったオデュッセウスは、行商人に化けて、珍しい商品をとり揃えてスキューロス島に出向きました。女性用の品々に興味を示す王女たちと違って、偽王女のアキレウスのみは、短剣などにしか目を向けないので、その正体がばれてしまったとホメロスの「イリアード」は記しています。
それはまた、王女と見まがうばかりのスレンダーな体型だったことを証言しており、ツタンカーメンの肖像画と一致しています。

こうして、トロイア戦争に引っ張り出されたアキレウスは、テティスの予言どおりに戦死します。

アキレウスは、トロイアの王子ヘクトールを倒し、その遺骸を戦車で引きずります。
その後、アキレウスはイーリオスのスカイア門の前で戦っていましたが、急所のアキレス腱をトロイアの王子パリス(一説によると彼の暴虐に憤ったアポローン)に射られ、瀕死の重傷を負って倒れましたが、しかしアキレウスは再び立ち上がり、イーリオス勢を追い回したのち、ついに予言どおり死の運命を迎えます。

足に弱点のあるアキレウスは、戦車で行動したと考えられます。足には勿論、防具のすね当てやくるぶしカバーもついていたことでしょう。ですから、矢が直接足を貫いたわけではないので、足に矢傷がみられないのでしょう。
アキレウスの足の頑丈な防具を射て壊したり、疾走する戦車チャリオットの馬を射たりすると、あのような足がぽっきり折れるような「交通事故的」な衝撃が生じると考えられます。

「瀕死の重傷を負った」のちに「再び立ち上がり、イーリオス勢を追い回した」というのは、英雄に対する美辞でしょう。


ツタンカーメン展が今、上野の森で開かれています。ツタンカーメンのどの像も、王女に見まがうものばかりですから、女装したアキレウスを想像してみるのも一興です。




ツタンカーメンの素顔

国立科学博物館の坂上和弘氏によるツタンカーメンの復顔
世界的な人骨の権威である国立科学博物館の坂上和弘博士が、ツタンカーメンのCT画像から復顔に挑戦。
そして、復顔完成のそのツタンカーメンのお顔は、・・・予想した通り、まるで日本人でした!!


ブログ「マイコのHAPPY LIFE エジプトevery day」
http://blog.livedoor.jp/maimitsu/archives/51992910.html
のマイコ様のご厚意で、下の2枚の写真を掲載させていただきました。
マイコ様ありがとうございます。

ツタンカーメン 復顔

ツタンカーメン 復顔2

このブログで、何年も前から、「ツタンカーメンは日本人、すなわち倭人である」と言い続けてきたわたくしにとって、8月11日(土)フジテレビ の、土曜プレミアム「独占解明!誰がツタンカーメンを殺したのか!? 謎の少年王・悲劇の生涯」 の内容は、今までのツタンカーメン関連番組よりもはるかに意義のあるものでした。
3400年の時空を超えて、直接本人の「骨は語る」のです。「私は倭人、日本人ですよ」と。

わたくしは、カイロのエジプト考古学博物館で「八重の入れ子になっているツタンカーメンのお棺と厨子」の木工細工と金箔の技術など、おびただしい細工をじっくり拝見しました。
こうした驚くべき巧みな技も、「日本の技術である」と、語りかけてくれました。
たとえば、テーベに残されている壁画ののこぎりは、西洋流の「押す」ものではなく「引く」ものなど・・・です。

53 世界最大のミステリー 「魏志倭人伝」

92 邪馬台国への行程  10 邪馬台国 

10 南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳提可七萬餘戸
10 南へ水行十日、陸行一月程行くと、邪馬壹国に至る。女王の都する所。
   官を伊支馬、次を弥馬升という。その次を弥馬獲支といい、その次を奴佳提という。七万戸余りある。


クレタ島からエジプトの海岸線までは約630kmあります。ほぼ、鹿児島新港~沖縄本島那覇港間の距離です。
これは、現在では、6000トンのクイーンコーラルプラスで、鹿児島新港~沖縄本島那覇港間、24時間、即ち、まる1日の行程です。

それを水行10日間とすると、1日63km進むことになります。

サントリーニ島出土の壁画 船団

サントリーニ島アクロティリの約3600年昔の上の壁画に見られるような、帆と漕ぎ手を装備した細長いカヌー状の船を双胴船に連結し、女王の特使用の快速船となしたものであろうと仮定して、次に述べるような計測をしてみました。

ホクレア号

ポリネシアの古代船を復元した「ホクレア号 全長約20m 幅5m」の南太平洋での大航海の例から割り出しますと、約11600kmを5ヶ月間=約150日の予定を組んで航海していますので、一日平均77kmほど、10日間で770kmの走行を目安としていたことになります。ここから判定して、630kmを10日というのは、ゆとりのある日程と云えます。

さらに、陸行一月程行くと、テーベとなり、ここが、女王の都と考えられます。
邪馬台国とはエジプトのことです。

エジプトの人口は、当時すでに数百万人から1千万人の規模に達していたと試算されていますから、女王の都が「七万戸余りある」、つまり30万人ほどの人口であったとしてもリーズナブルです。しかし、2000年ほど前の九州や畿内のどこを探しても、このような大都市の痕跡を見つけることは不可能です。


テーベ王朝について、わたくしは、既に、トゥト・アンク・アメンが「古事記」などの「天稚彦あめわかひこ」であることを検証しております。
また、クレタ島出土のファイストス円盤には、エジプトでファラオの右腕となった人物ヨセフの名前が日本語で刻まれており、その息子エフライムが彦穂々手見命=山幸彦、マナセが海幸彦であることまで解明できていますから、さらに、エジプトの歴史と照合しながら探索すればよいわけです。
また彦穂々手見命の寿命は580歳と「古事記」に書いてありますから、これは「息子」と云うよりは「息子を起点とする王朝」ととらえるべきでしょう。

ファイストス円盤に描かれている「彦穂々手見」についての、最も重要な情報は、「古事記」と「日本書紀」神代の巻の掉尾を飾っている彦穂々手見命の記事です。世界中を探しても、いまのところ、ヨセフの子孫の消息は分かっていません。聖書にすら手がかりはないのです。しかし、「古事記」と「日本書紀」の神代巻の末尾は、「彦穂々手見命即ちヨセフの子孫と豊玉姫の間に生まれたウガヤフキアエズであると記されその子孫が列記してあります。
この「ウガヤフキアエズ」という奇妙な名前について、また、その子孫について、木村鷹太郎氏が「日本太古史」明治45年刊 に解明していますので、これの検討をしてみます。 

「古事記」神代巻の末尾 
  天津日高日子波限建鵜葺草葺不合(ひこなぎさたけうがやふきあえす)命、
  その姨(おば)玉依毘売命を娶(めと)して、生みし御子の名は、五瀬命、
  次に稲氷命、次に御毛沼命、次に若御毛沼命、亦の名豊御毛沼命、
  亦の名神倭伊波礼毘古命。4柱。
  御毛沼命は、波の穂を跳みて常世国に渡りましき。
  稲氷命は妣(はは)の国として海原に入りましき。

「日本書紀」神代巻の末尾
  彦波瀲武鸕鷀草葺不合(ひこなぎさたけうがやふきあえず)尊、
  其の姨(おば)玉依姫を以ちて妃と爲し、彦五瀬命を生む。 
  次に稻飯(いないい)命。 次に三毛入野(みけいりの)命。 
  次に神日本磐余彦(かむやまといわれひこ)尊。 凡(すべ)て四男を生む。 
  久しくして彦波瀲武鸕鷀草葺不合(ひこなぎさたけうがやふきあえず)尊、
  西洲(にしのしま)の宮に崩(かむざ)りき。 
  因りて日向(ひむか)の吾平山(あひらのやま)の上の陵(みささぎ)に葬りまつる。


木村鷹太郎氏は、これを検証していますので、簡略に紹介しておきます。

「日本太古史」木村鷹太郎著 博文館 明治45年刊から 
  ウガヤフキアエスは、Ουραν γαια φορκιζ のギリシャ語の、
  天=ウラノスのウと、地=ガイヤのガヤ、
  支持するを意味するフォーキュスとの合成語であり、
  天を父とし地を母として地の両極にて天地を支えるアトラスのことである。 

  ウラノス     Ουραν  の略     宇=天 
  ガヤ=ガイア   γαια           地
  フキアエス    φορκιζ         支持者
   
  中国の史書に詳細に伝えられる天皇氏がウ、地皇氏がガヤに相当し、
  大昊伏義氏、又は庖犠氏と呼ばれるもののことである。 
  その「フッキシ」「ホーキシ」が、ギリシャ語のPhorcysとの同一性を示し、
  また、伏義氏、あるいは庖犠氏が竜蛇で表象されることでも一致している。
  天皇氏地皇氏に続いて記される人皇氏とは、ヒト=ヘテ人をいう。


彦穂穂手見命の子のウガヤフキアエズ、即ち、アトラスは、豊玉姫の妹玉依姫と結婚して、生まれた御子たちは次のような歴史的人物であると説きます。


  神倭伊波礼毘古命    イウールス  トロイア王子 ローマ建国の祖
  稲氷命=稲飯命     アイネイアス トロイア王子 ローマ建国の祖 
  御毛沼命=三毛入野命  ミケイリノス=メンカウラー  エジプト王

 稲氷命は剣を抜きて海原の国に入りて鋤持(サビモチ)の神と成り給えりと。
 鋤とは剣にして、スペイン、ドイツ、スウェーデン語などが、軍刀をサーブル、
 サーベルというは、鋤(サビ 鉄)と語源を同じうせるものにして、
 その人種名と成れるものはSabinusと言う。サビヌシは鋤主にして、鋤持と同意義なり。
 サビーヌ人種の国は稲氷命=イナイの入り込みしローマ付近の地にして、
 その地方をウンブリアUmbriaと言う。これ「海原」なる語にして、
 いわゆる稲氷命の入りませる「海原」なる国名にあたれるなり。

 「姓氏録」は稲氷命を以って新羅の祖となすが、極東には非ず、
 イタリア南部をシラキウスSeyllaciusと言う。これシラキなり。

 ホメロスの「イーリアス」中の英雄イナイ Aeneae=Aeneasは、トロイ王族にして、
 トロイ王家は美の女神の子なるイナイ王によって継続せらるべき運命を有し、
 トロイ没落後、イナイは、老父を肩に載せ、父をして神器を抱かしめ、
 君笏を有せる幼児イウールスIuleusの手を携え、戦争の混乱中に生き別れ、
 同族の一団と共に、海に陸に戦にと艱難辛苦を経て、ついにイタリーに着く。 
 其の地の有力者となりここに帝国の基礎を置けり。

 ローマ人はこのイナイ(アイネイアス)を以って建国の祖なりと伝う。
 イウールスはIuleusと綴れりといえども「ウス」は人物語尾のusにして、
 日本の「氏」にあたり、また「彦」にあたれる語なり。
 イウールスの「イウレ」は、トロイの別名Iliumと同一語にして「磐」を意味し、
 イワレ彦命に対して、「磐余」なる字に一致するが如し。
 
 イナイおよびイウールス(アスカニオス)にも海上に難船の記事あり、
 その地点はイタリアのクマノ海 Cumanosクマノスにして、
 稲氷命および磐余彦命の難船は熊野海たり。
 

「古事記」「日本書紀」の神代の巻の掉尾を飾っている記事はヘシオドスの「神統記」の掉尾と同じ内容であることを私は発見しました。

ヘシオドス「神統記」 末尾 
トロイア王家のアンキセスとアフロディテーとの間に生まれたアイネイアス、
および、オデュッセウスとヘーリオスの娘キルケーとの間に生まれたアグリオスと、
非の打ちどころなく、力あるラティノス、そして、
(アフロディテーの恵みをうけて生まれた)テレゴノス(チレニア人)・・・


「ラティノス」とはラテン人、「テュルセノス」人とは、エトルリア人或はイタリア人をさしていますので、この息子たちは、製鉄産業にいそしんだエトルリアの開祖たちであるということをこのヘーシオドスの頌詩は明かしているのです。
ウェルギリウスの叙事詩「アイネィアス」の主人公アイネィアスは、トロイア王家のアンキーセースとアプロディテー女神即ちヴィーナスとの間に生まれたと書かれています。
ヴィーナスの夫は鍛冶神ヘファイストス鍛冶神ですから、その息子アイネィアスが、エトルリアで「鋤主(さびぬし)の神となられた。」と言う記事と整合します。
アイネィアスがトロイア王プリアモスの娘クレウーサを妻としてもうけた息子はアスカニオス(別名ユールス、イウールス)です。
木村鷹太郎氏は、神武天皇が神倭伊波礼毘古あるいは磐余彦(いわれひこ)と記されているが、「いわれ」とは、トロイアのイリウムという言い方と同じで、イリウムも磐を意味するといい、トロイア王家をイウール(磐)ともいい、神武天皇とは、トロイア皇子イウールスのことであると解きました。この皇子の別名がアスカニウスなのです。

ところで、「製鉄&鍛冶=一つ目」という、わが国でもよく知られているこの原則は、ギリシャ神話の天空ウラノスと大地ガヤの子供であるプロンテス・ステロペス、アルゴス、キュクロプスと呼ばれる一つ目の兄弟の子孫のことから始まっているのです。
この三人組の女性バージョンがグライアイ(老女の意味、ギリシャ国名の語源)三姉妹で、体は三体ですが「目一つ、歯一つ」を三人で共用しているという怪物で、やはり怪物のゴルゴンの姉妹にあたります。
日本では、「一つ目」はこれと同じですが、ギリシャでの「一つ歯」のほうは、日本では「一つ葉」すなわち「片葉」「片葦」「片足」です。

このキュクロプスたちの両親であるウラノスとガヤをあわせた名を持つ「ウガヤ」王朝のことをわが国の「古事記」と「日本書紀」は「ウガヤフキアエズ」と記しているのですから、わが国の暦史書は、決して「弥生時代」以降のことだけを書いた浅薄な歴史書ではありません。こうして、4000年以上も後に解かせるような謎を編集するような「言葉と文字」の達人たちだったのです。

そして、このウラノスとガヤの子「ウガヤフキアエズ=アトランティス」を連れて逃げて養育し、結婚したのが虹の女神イリス(玉依姫)すなわちトロイアなのです。

日本では、玉依姫の夫の「大物主=大国主」は、「出雲」「三輪」などに分祀されていますが、いずれの神域にも「神奈備山」を擁しています。「パイエークス=キュプロス=(杉)林国」(木村鷹太郎氏の説)との共通思想が垣間見えるのが、三輪神社が杉の木を神紋としていることです。
また「三輪」とは、三重丸の同心円、即ち、「一つ目」を表象する言葉であると私は考えています。
そして、ヤマトとは、「矢と的」を表わし、それは、神=光=矢と的=目を示し、三重の同心円は「目的」「目標」「輪と和」をも表わすという最高の次元の象徴であると思っています。

三輪神社神域の「アスカ」という地名はアスクレピオス医神とトロイア王子アスカニウスを示唆しています。

アスクレピウス医神もイウレウス家も、紋章は百合でした。
そして、オデュッセウスは英語圏では「ユリシーズ」と呼ばれていますが、日本では「百合若」として各地に伝承されていました。



ヘシオドス「神統記」とホメロス「イリアード」「オデュッセイア」は、「古事記」「日本書紀」そして「魏志倭人伝」とリンクして、トロイア王家の「アイネイアス、イウレウス」とギリシャの総大将「オデュッセウス」を物語っています。

数万キロメートル隔てたギリシャと日本の書物が全く同じ記事を掲げているという驚くべき事実を無視したまま古代史を語ることはできません。


アトラスの子孫の世界三分割
ウガヤフキアエズ=アトラスの子孫についての、こうした事蹟と「古事記」「日本書紀」とを照合して見ますと、
この三者間での世界の三分割統治が行われた様子が浮上します。

  イウールス=神武天皇は、ローマ建国に携わり、のちに、東漸してアジアを統治
  イナイ王がイタリアを建国して、ウンブリアなどを拠点にヨーロッパを統治
  ミケイリノス王がエジプトを拠点に、アフリカを統治

上記の三者の父彦穂々手見命の寿命については、「古事記」が580歳と記していますので、これらは人物名というよりも王朝名であると解すべきでしょう。

「古事記」は「次に御毛沼命、次に若御毛沼命亦の名は豊御毛沼命亦の名は神倭伊波礼毘古命(神武天皇)」と記しています。すると、時代の異なる二種類以上のミケイリノスがいたことになり、ギリシャのミケーネとの関係を調べる必要がありそうです。

彦穂々手見王朝(580年)の次がウガヤフキアエス朝で、その次がローマ建国の時代であったならば、
彦穂々手見命が結婚した豊玉姫の父が「テーベ王朝」の王であると解しても歴史との矛盾がありません。

聖書はトロイア戦争と古代ギリシャについて何も語っていません。
ホメロスはエジプトについて語っているようには(表向きは)見えません。
そして、古代エジプトや古代ギリシャが、かなり、グローバルな社会であったという証拠が次々と出てきているのですから、聖書やギリシャ神話についても、重ね合わせて立体的に見直す必要があります。



メンカウラーのヒエログリフと「日本書紀」の三毛入野命
ミケイリノス王名

メンカウラーの王名ヒエログリフは、「日本書紀」の三毛入野命の表記と見事に合致しています。
三個の桝形=凹の表象は「入」は、イリ王朝(トロイア系)を示し、「三個の大ピラミッド」の表象であると考えられます。
「日本書紀」の三毛の表記からは、「毛、不毛」を、「みけ」の音からは、「御食、御饌、三宅」が想起されます。
「三毛」から、三種類の穀物、御饌を連想しますので、地中海方面の火山爆発などによる異常気象で大不作に見舞われたときに貢献したことを推し量らせるためのヒエログリフではないかと思います。

創世記41章に記されているような、「七年間もの旱魃」という恐るべき大飢饉の発生を、ヨセフが予測していたならば、穀物争奪戦争や略奪からの防災、また、炎熱や腐敗からの穀物種の保護などの目的に対して、ピラミッドのような特殊な倉庫の建造を計画したことでしょう。それは、ピラミッドのような巨石での建造以外では、略奪者の決死的襲撃から保守し得ないような状況であったと考えられます。  

また、ピラミッドは、見張りの塔、鏡による光通信の拠点、烽火通信の拠点などを兼ね、ナイル川運行の船舶やキャラバンの目印として機能した、複合施設であったと考えられます。このような目的のためには、地下の迷路や「死人に番をさせる」といったトリッキーな装置も必要だったに違いありません。

エジプトが「鏡」を神聖視した裏には、鏡による光通信ネットワークがあったと見ています。
そして、このことは、第一級の秘密であったはずです。

テーベのツタンカーメンやハトシェプスト女王の地下墳墓などを個人で見学しましたとき、アルミを貼った大きな板を持った子供たちが連携して、アルミ板を上手に扱って、地下深くの壁画のデテールを照らしてくれました。この助けなくしては、壁画の見学もままならない暗い地下のこととて、思わず子供たちにチップをはずみました。
太古においても、日中には、こうした方法で深い地下室に明かりを送っていたことが想定されます。


メンカウラー=ミケリノス王の彫像
メンカウラー王は紀元前2500年頃の王で、ギザの第三ピラミッド、一辺108メートル、高さ約67メートルのピラミッドの建設者と言われていますが、「古事記」の記事が確かなら、ピラミッドはもっと古いヨセフの時代に建造されたことになります。
ミケイリノス


1908年、ギザのメンカウラー王のピラミッドに付属した河岸神殿から、G・ライスナーの発掘によって、左のようなメンカウラー像が出土しました。

このメンカウラー王の群像は1978年4月1日から12月3日まで、日本各地で開催された「古代エジプト展」の展示品の一つとして公開されました。
普段は、カイロのエジプト考古学博物館に展示されています。


クレタ島出土の約3500年昔のファイストス円盤が日本語で読めるということは、地中海文明に私たちの祖先が寄与していたということです。そして、聖書中の重要人物ヨセフやその息子たちの消息をあかすものであり、「古事記」「日本書紀」が、こうして、古代史解明の鍵を示していることを鑑みると、「魏志倭人伝」が「邪馬台国」であるエジプトからアトランティスの首都クレタ島、ギリシャ、そしてエトルリアに至る足跡を辿らせようとしているのだということを受け止めなければなりません。

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