与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

日本は神国 19

120 聖書と日本

啓示の書」(ものみの塔)を論破する 1

1、「新しいエルサレム」 1

ヨハネの黙示録」 21章を検証 1
 

新しいエルサレムという言葉は、「ヨハネの黙示録」 21章と3章にのみ出て来る言葉です。
ヨハネの黙示録」 21章には、「イエス・キリストの花嫁としての新しいエルサレム」が、結婚式の披露宴で華麗に登場する一幕として描かれていて、この場面は、まるで、グランド・オペラのフィナーレの大団円のようです。
そして、この豪華絢爛たる「イエス・キリストと花嫁」の結婚式は、聖書全体を通してのフィナーレであり、最も重要な事項です。

イエス・キリストは、その命を「神の国」の宣教にささげられました。
約三年半にわたったイエス・キリストの活動は、神の国の到来を告げ知らせ、人々を神の国に招き入れることでした。
ですから、イエスの宣べられた「神の国」とイエスがヨハネに託された「ヨハネの黙示録」の主題である「新しいエルサレム」とは、
全く同一のものであるはずです。

イエスの宣べ伝えられた「神の国」について調べてみましょう。

「マタイ福音書」4章
 17 この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。 
 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」

「マタイ福音書」5章 「山上の垂訓」
 3 .こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
 5 柔和な人たちは、さいわい である、彼らは地を受けつぐであろう。
 10 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
 18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、
  律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
 19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、
  そうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。
  しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。
 20 わたしは言っておく。あなたがたの義が、
  律法学者やパリサイ人(びと)の義にまさっていなければ、
  決して天国に、はいることはできない。
 33 まず神の国と神の義とを求めなさい。

「マタイ福音書」6章 「主の祈り」
 9 だから、あなたがたはこう祈りなさい。
   天にいますわれらの父よ、御名(みな)があがめられますように。
 10 御国(みくに)がきますように。
  みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
 33 神の国とその義とを第一に求めなさい。
  そうすれば、それに加えて、必要なものは、すべて与えられます。
  だから、あすのための心配は無用です。

イエス・キリストの最も有名にして最も重要な御教えに照らしてみますと、「ヨハネの黙示録」の「新しいエルサレム」とは、イエスの説かれた「神の国」に他ならないのです。

ヨハネの黙示録」3章には、「勝利を得る者の上に、わたしの神の名と、神の都、即ち、神のもとから出て天から下ってくる新しいエルサレムの名とわたしの新しい名を書き記そう。」と書かれています。
「勝利を得る者」に与えられる「新しいエルサレム」とは、どのようなものかについては、上に揚げた「マタイ福音書」の山上の垂訓からもうかがい知ることができますように、地上の「神の国」であって、決して死後の世界のことではありません。
「マタイ福音書」6章33 「神の国とその義とを第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、それらのもの(必要なもの)は、すべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。」という御言葉は、決して、動物のように現在のことだけに充足して生きなさいという刹那主義的生き方を進めるものではないと言えます。
そうではなくて、イエスの教えは、「死後の天国のことではありません」と示唆しておられるのです。
宗教家たちは、死後の天国や極楽への空手形を売り捌き、「その金は祭司たちの階層の金と権力を増し加え、貧乏人たちにはますます貧乏に」という格差社会の構造を生み出す集金マシンと化していたのです。
ですから、エルサレムの金持ちたちに、「金持ちが天の御国にはいることは難しいことです。」「マタイ福音書」19章23」といわれたのです。しかし、その意図は、パウロが組織した「貧しい者たちのために寄付をしなさい」という集金機構を備えたキリスト教会とは全く異なります。
イエスは、その金持ちの若者に、「同朋、隣人の窮状を救う気持ちがあるかどうか」を問いかけられたのです。
結局、祭司たちも政治家たちも金持ちたちも、神や国や同朋を愛する気はさらさら持ち合わせていないので、エルサレムの神殿も国も滅びに定められていることを、イエスはご存知でした。
また、イエスの教えの真意を悟った者たちは、東へ東へと逃げたのでした。
したがって、イエスは、「アジアの七つのキリスト教会にあててのみ「ヨハネの黙示録」を伝達されたのです。
イエスは、「異邦人のためのパウロのローマの教会等へ伝達することを避けている」ことの真意を悟りなさいという意思表示をされたのです。

「マタイ福音書」4章 17の、イエスが宣教を開始して最初に言われた「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」という預言は、一体どうなったのでしょう。
ユダヤの大祭司カヤパやポンティ・ピラト(ローマ帝国の第5代ユダヤ属州総督、ティベリウス皇帝属領長官、在任:26年 - 36年)がわずか1日の公開裁判でイエスを極刑に処して葬り去ったことで、ユダヤはエルサレムの宮もろとも消滅してしまったのです。
メシアを殺しては、「エルサレム平安の都」は成り立ちません。そこにおける「千年王国」は成就しなかったのです。
そこは、もともと、義の人アブラハムが神命を受けて息子イサクをささげようとした因縁の地でした。神は、アブラハムとイサクが、神命に全き忠誠をささげる気持ちを嘉して、身代わりの黒い羊がささげられた地でしたから、そこでは、「神の国とその義」を第一にしないで「過ぎ越しの祭りの御馳走をたべること」のほうに重きをおいていたエルサレムの金持ちたち(ふとった黒い羊たち)は、その後、「ローマ軍に包囲され、食べ物にも事欠き、死人を食べる」ような悲惨な境遇になりました。
イサクの例から見ましても、「イエスは蘇られられた」というのは、本当のことだと思われます。


紀元70年の「エルサレムの消滅」 
 紀元前37年に、ローマ帝国の支援を受けたヘロデ大王のもと、ヘロデ朝が成立。
 エルサレム地方とサマリア地方のあるユダヤ属州や、
 別の属州に含まれたガリラヤ地方は全てローマ帝国の支配下であった。
 
 紀元70年のエルサレム攻囲戦でローマ帝国軍に(ユダヤは)滅ぼされてしまい、
 ユダヤ的なものを一掃しようとしたローマ人は、この土地をユダの地(ユダヤ)ではなく、
 ユダヤ人の宿敵ペリシテ人にちなんでパレスチナという名前をつけたため、
 ユダヤという地名も消滅しました。

神とイエスを無視し、「神の国」とその義を無視して、メシアであるイエスを葬り去るとどうなるかという「預言のパワーの実例」を、イエスは身を以って示されたという一面が見えるのです。


「ヨハネの黙示録」の、「キリストの花嫁として披露され祝福される新しいエルサレム」とは日本なのです
 日本が勝利を得て、守護神恵穂葉の御名を戴き、
 新しいエルサレムの名「日本」を名乗ることが預言されているのです。

ものみの塔の「啓示の書」の説は、「新しいエルサレム」は、「ものみの塔の組織」のことであると言い、そして、その「ものみの塔の組織」が、全地を治めるというのです。

啓示の書」307ページより
 「新しいエルサレム」は、神のとこしえの目的を成し遂げるために、
 絶妙な仕方で企画された組織上の一つの取り決めでです。
 王となるイエス・キリストとともに、
 新しいエルサレムは、エホバの王国の組織をなしています。

jw ものみの塔 オンライン・ライブラリー  2015年6月5日現在

 新しいエルサレムは,
 この象徴的な都市の王座に就いておられるキリストと共に,
 地上の人間社会である新しい地を治める「新しい天」となります。


「ヨハネの黙示録」21章を掲示して、ものみの塔の「啓示の書」と私の説の、どちらの説が正しいのか、これを検証していきます。

「ヨハネの黙示録」21章 
パート1
 わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。
 先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。
 また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように、
 用意をととのえて、神のもとを出て、天から下ってくるのを見た。


新しい天と新しい地
この言葉は、「イザヤ書」65章17、18の、

 見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。
 先の事は思い出されず、心に上ることもない。
 だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。 
 見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、
 その民を楽しみとする。
 わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。
 そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。

という預言の実現を述べたものであることを示唆しています。

「イザヤ書」65章は、
 わたしに問わなかった者たちに、わたしは尋ねられ、
 わたしを捜さなかった者たちに、見つけられた。
 わたしは、わたしの名を呼び求めなかった国民に向かって、
 「わたしはここだ、わたしはここだ。」と言った。 
 わたしは、反逆の民、
 自分の思いに従って良くない道を歩む者たちに、
 一日中、わたしの手を差し伸べた。
 この民は、いつもわたしに逆らってわたしの怒りを引き起こし、 
 園の中でいけにえをささげ、(宗教の犠牲者ばかり出す)
 れんがの上で香をたき、墓地にすわり、(死人に香をたくのみの宗教)
 見張り小屋に宿り、豚の肉を食べ、(外国の犬となって高所に座し)
 汚れた肉の吸い物を器に入れ、(国民を豚にして、その豚を喰らう)
 「そこに立っておれ。私に近寄るな。(我々は恵穂葉神より偉いと云う)
 私はあなたより聖なるものになっている。」と言う。
 これらは、わたしの怒りの煙、一日中燃え続ける火である。

 わたしは、ヤコブから子孫を、
 ユダからわたしの山々を所有する者を生まれさせよう。
 わたしの選んだ者がこれを所有し、わたしのしもべたちがそこに住む。

このような、不遜な民であるために、その国は大艱難にあうのです。
しかし、「見返る」者たちがいるために、神はこの国民を滅ぼさないでおられるのです。
「イザヤ書」65章が、冒頭で、「わたしに問わなかった者たちに、わたしは尋ねられ、わたしを捜さなかった者たちに、見つけられた。
わたしは、わたしの名を呼び求めなかった国民に向かって、『わたしはここだ、わたしはここだ。』と言った。」と、ことわってあります。
ですから、これは、現在のユダヤ人やイスラエル国ではありません。
また、神の御名を100年間叫び続けている「ものみの塔」の組織でもありません。

「見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。」とは、天地創造の神が作られ他「新しいエルサレム、イエス・キリストの花嫁である日本を見よ」ということなのです。

キリストの花嫁である新しいエルサレム
「キリストの花嫁である新しいエルサレム」とは、日本列島の形状を織り込んだ預言だったのです。
天地創造の神のエホバ神ならではの、奇跡的にして雄大な構想ではありませんか。 

 花嫁

ここで、「新しい天と新しい地 new heavens and new earth」 
についての現実を見ておく必要があります。

この「新しい天と新しい地 new heavens and new earth」という言葉は、「新世界 New World 」ということばと同義で、大航海時代に欧州人が新たに発見した土地に対する呼称として使われるようになりました。
それ以前の世界の「天と地」はどこだったのでしょう。

15世紀までの「天」は日本
TOマップ011

「TOマップ」という900年頃の地図があります。
中学校や高校でつかう地図帳の後ろの方に小さく載っています。
世界の中心をエルサレムとしているのがこのTOマップ」です
北を上に置く現在の地図と異なり、太陽の昇る方角を地図の上部、即ち、天としています。
中心にエルサレムが置かれ、東の端(上)に、オリエント、パラダイスという文字と、エデンの園の象徴である「命の樹」と「アダムとイヴと蛇」が描かれています。

聖書の「エゼキエル書」(紀元前590年頃)の記事からも、この地図の損存在と世界観とを垣間見ることができます。、
 「エゼキエル書」5章5 
  主は云われる、これはエルサレムである。
  わたしはこの都を諸国の真ん中に置き、
  その周りを国々が取り囲むようにした。

TOマップの大きな特徴は、世界をアシア、アフリカ、ヨーロッパの三界に分けていることです。
世界を分けるTの横軸は、タナイス川(ドン川)と紅海(ナイル川も)、縦軸は地中海、
Oはオケアノス(大洋)を表しています。

こうして分けられたアジアは「朝」、ヨーロッパは「夜国=ヨルオピア」という日本語から来ていると、木村鷹太郎氏は説いています。
ヨーロッパはフェニキア建国のカズモスの妹のヨーロパ姫(エウロペ姫)の名です。これは、ギリシャ神話などでも知られている古い言語であり、アシアもまたエジプトの碑文などで見られる古い言葉です。

こうした、世界の古代史のなかで、きわめて重要な地名が日本語であると言うのは愉快なことで、古代の先祖たちの知恵の計り知れない高度さに驚かされます。
世界を夜と朝で表現しているのを見ますと、地球が丸いことを知っていて、緯度経度など様々なことを割り出していたということを示唆しているように思えます。

img009.jpg
「週刊朝日百科 世界の歴史」朝日新聞社1988年
大英博物館所蔵の14世紀の世界地図。

上の14世紀の世界地図にも、日本の位置にエデンの園が描かれています。
日本が、世界でもまれな、「神国」という伝承を持つ国であるということを想起しないではいられない地図です。 
上の地図に付いていた安部謹也氏の説明(抜粋)を掲載します。

 中世の人々は楽園を幻想夢想の地とは考えていなかった。
 エデンの園は、距離は遠いけれども行きつくことが可能であると伝えられていた。
 このことは、中世の地図によってよく知られている。・・・
 中世の地図はエルサレムを中心にして東が上に描かれているが、
 エデンの園はインドより東の地として描かれている。

 「ニュールンベルク年代記(1493年)」に見られる世界図では、
 楽園の位置はもはや示されていない。

 「週刊朝日百科 世界の歴史」1988年  D24ページ 解説 安部謹也氏

西洋キリスト教の信徒は、「死後の楽園」を信じているとばかり思っていましたが、実は地上にも神の国があると信じていたのですね。
古地図で、東の果てにエデンの園が書き込まれているまさにその位置に、「神国」と言い伝えられていた山紫水明の日本が存在したにもかかわらず、聖書のエデンの園と神国との関係を本気で考える神父や牧師、神学者、そして、歴史家がいないのは不思議というほかはありません。
それは人類史の大きな謎です。

「ニュールンベルク年代記(1493年)に見られる世界図では、楽園の位置はもはや示されていない。」という現象の背景には、「羅針盤と火薬」の登場、そして、「新大陸」の存在が大きく影響したのではないでしょうか。
そのころから、「新大陸」を神が与えたもうた「新天新地」すなわち「楽園」と称えた文言が多く見られるようになります。


アメリカが「新天新地」か

アメリカ大陸と云う名が、その「新たに発見した大陸」に名付けられたのは、アメリゴ・ヴェスプッチ (伊: Amerigo Vespucci、1454 - 1512年)が、ポルトガル王の元での探検調査で南米大陸東岸に沿って南下し、

1503年頃に論文『新世界』を発表したことによります。
「さて、あの国々はまさに「新世界(ノーヴォ・モンド)」と呼称するにふさわしいところであります。」
1507年、ドイツの地理学者マルティーン・ヴァルトゼーミュラーがアメリゴの『新世界』を収録した『世界誌入門』(Cosmographiae Introductio)を出版した。その付録の世界地図にアメリゴのラテン語名アメリクス (Americus ) の女性形からこの新大陸にアメリカという名前が付きました。

1620年11月、アメリカ北東部の海岸プリマスロックに一隻の船メイフラワー号が到着しました。
102名の乗船員の中に41名の教会員が乗っていました。
彼らは飢饉と宗教的迫害に悩まされたヨーロッパから逃れてきました。
それを、旧約聖書の「出エジプト」のモーゼに導かれて約束の地であるカナン(現在のパレスチナ)に辿り着いたというイスラエルの民に模して、「神が約束の地」としてのアメリカを賜ったという「アメリカの建国神話」の誕生に繋げたのです。

アメリカ国民は、聖書の「新しいイスラエル」の民であるという神話を持っています。
「神によって与えられ祝福されたアメリカ」は、世界を指導していくという「神聖なる使命」が与えられているというのです。
この「理想」は、さらに、「反対する国や政権は倒してしまうことが、神聖なる使命である」と考える「正義の国」思想になったのです。
つまり、イエスの説かれたた「神の国とその義」とは、アメリカ大統領たちにとっては、「倒そう」と決めれば、いつでもどこでも空爆したり、原爆を落とすことができる国であるということなのです。

「新しい天と新しい地」、即ち、アメリカという世界戦略に基づいて、歴代の、多くのアメリカ大統領が、この言葉を「新世界秩序 New World Order」という用語に置き換えて演説しています。
第一次世界大戦後、国際連盟の創設に与したアメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソン(1856~1924年)がこの「新世界秩序」を掲げてパリ講和会議を主宰しました。
国際連盟とはなんであるかがよくわかります。ちなみに、国際連盟とは、連合国の組織であるという意味です。
第二次世界大戦後、イギリスのウィンストン・チャーチルが、「国民主権国家を廃絶し世界政府の管理による恒久的平和体制の実現が不可欠である」として、この「新世界秩序」という言葉を使いました。

1990年9月11日、アメリカのジョージ・H・W・ブッシュ大統領が、湾岸戦争前に連邦議会で述べたスピーチの題目は『新世界秩序へ向けて(Toward a New World Order)』でした。
2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センターのツインタワーに旅客機が激突して完全に崩壊すると言う、「911事件」が起きました。
2001年10月27日には、早速、ジョーージ・W・ブッシュ大統領は、「テロとの戦い」と称して、有事体制 国家総動員体制を敷いて「対テロ戦争」を開始しました。
米国は、他国の意志にはおかまいなく、「単独覇権主義」の路線に自らを切り替えた上で、「正義」の敵と戦うと宣言し、イラクやアフガン、イラン、シリア、リビアへと戦闘を繰り広げました。

これが「新世界秩序」の世界戦略であり、アメリカが「神の御意志」である「正義」の側、すなわち「天」を演じ、そのほかが「地」をアメリカの意志に従わせようと云うわけです。
今、「新天新地」を牛耳っているのは、アメリカなのです。

しかし、「あたらしいエルサレムが日本であり、キリストの花嫁である新しいエルサレムが日本であるならば、全ての事情は一変するのです。
「先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。」とは、今、アメリカが「ワンワールド」の頭としてふるまって、天地と海を支配していますが、この体制が終焉すると預言しているのです。また、中東のイスラエル建国誕生に協力した連合国や国連は、エホバ神にたいする冒涜をしたことになります。

「聖なる都、新しいエルサレム・・・・・・・神のもとを出て、天から下ってくるのを見た。」とは、「神の御意思による新しいエルサレムは日本のみであり、「平和の神」恵穂葉神は中東のエルサレムやアメリカを「この世を支配する神の代理人」とは認めていないという表現です。



日本は神国 18

119 聖書と日本
エホバの証人 VS 私 4

ものみの塔の「啓示の書」 VS 私の「ヨハネの黙示録解説」
「啓示の書 その最高潮は近い」ものみの塔聖書冊子協会発行の顕著な問題点を挙げて、わたくしの「ヨハネの黙示録解説」を併記してみます。どちらが「神の御意志」に近いかを、皆様一人一人で御検証されますようにと願っております。

ヨハネの黙示録」は、22章からなり、約25000字(日本語)ほどですから、40ページ~50ページの分量です。
エホバの証人の「啓示の書」は44章からなって、320ページあり、ざっと30万字ありましょうか。
しかも、「ヨハネの黙示録」のことを「啓示」と言っているのですから、ものみの塔の「啓示の書」とまぎらわしいことこのうえなしです。

ものみの塔の「啓示の書」の要旨は、終末に、「楽園を受け継ぎ、全世界を統治するのは、エホバの証人である、しかも、「エホバの証人になれば永遠の命を与えられるが、エホバの証人にならない者は絶滅に処される」というものです。こんな破天荒かつ単純なな答えを、あの「ヨハネの黙示録」の奥義であるとしているのです。
エホバの証人になるものを神の民とし、エホバの証人にならない者を、サタンに与する邪悪な者と裁定する」という、実に乱暴な二者択一を迫る神を布教しているのです。
そもそも真理とは何かという面は二の次なのでしょう。
ものみの塔組織は、「真理とは何か」よりも、「ハルマゲドンで、もうすぐ人類は絶滅する」と、その切迫性を過度に強調して信者を獲得することを本義としてきたのです。
当て推量による教義を、性急に布教してきた「ものみの塔組織のエホバの証人たち」ですが、それら当て推量の預言が外れることによって、「神聖な予言に疑惑が湧く」ことになってしまったのです。

最近では、日本でエホバの証人1人を誕生させるのに、33000時間を要し、本家のアメリカでさえ、エホバの証人一人を獲得するのに7500時間かかります・
こんなことでは、いつまでたっても、「人類がエホバの証人になって世界が楽園となる」日は近づいては来ません。
いったい、その原因は何故でしょうか。
それは、エホバの証人の統治体が、真の「エホバ神の御意志」を布教していないし、「真理」など追及していないからです。

ヨハネの黙示録」の奥義の開示と銘打っておいていながら、歴史や社会の現実から乖離したこんな単純な要旨、「エホバの証人になるか、それとも、絶滅の裁きを受けるか」と主張するだけのために、300ページを費やしているものみの塔の「啓示の書」ですが、書中、最もウエイトがおかれているのは「プロパガンダ」です。いたるところに、このプロパガンダが織こまれている「啓示の書」は、「パリサイ人のパン種」としか形容できない書物で、プロパガンダで膨らませ得るかぎり膨らませてあります。
神の真理は、プロパガンダを必要とされません。ましてや、エホバ神の代理人にしてイエス・キリストの代理人であると公言している身分のものみの塔聖書冊子協会の統治体なのですから、神のご意思を明白に布告すればよいのではないでしょうか。

ともあれ、エホバの証人は、「楽園」あるいは「御国」が到来するという良い便りを全世界に布教しているというのですが、それは、「ヨハネの黙示録」には「聖なる都、新しいエルサレム」と預言されているのがそれなのです。
しかし、わたくしの「ヨハネの黙示録」検証では、それは日本のことです。
そこで、「新しいエルサレム」という問題から、検証していこうと思います。

エホバの証人が唱えている「終末論」は、ミレニアム問題なのですが、ものみの塔の「啓示の書」は、それが「神の都」争奪戦であるという歴史的展開に触れていません。すなわち、イエスの時代のミレニアム問題、10世紀前後のミレニアム問題、20世紀前後のミレニアム問題についての考察を紳あいまま、「楽園」という概念に置き換えています。
イエスが受けた過酷な刑は、預言を悪用して、イエス誕生の前に、「救世主はローマのアウグストゥスである」としたパリサイ人たちの姦計に端を発していました。そして、ついに、「真正の救世主であるイエスを葬り去った」結果、エルサレムの神殿は消失しユダヤも消滅し、ローマ帝国すらも衰退への道をたどりました。
「ヨハネの黙示録」は、イエスの時代の「エルサレム問題」と20世紀の「エルサレム問題」を重ねるよう要請している書なのです。
そして、現代の戦争、紛争、対テロ戦争の全ての原因も、このミレニアム問題にあるのです。要するに、「聖書の預言」の悪用が根源なのです。
「神の預言」に端を発している「世界紛争」は、神に対する冒涜ですから、この現実を無視したままで、「エホバの証人か否か」という「主の日の裁き」はありえません。
エホバの証人が「敵、サタンの支配下の邪悪な体制」と呼んで十把一絡げにしているその体制は、預言の盗用や悪用が
原因で起きているのですから、エホバ神に着くか否かといった二者択一の採決では問題解決にはなり得ません。
問題解決には神の知恵を求めなければならないのですが、それには「知恵をつくし、心をつくし、力をつくして尋ねなければならない」のであり、そのうえ、勇気が必要なのです。
そうすれば、わたしたちが、どこから、何故に落ちていったのかがわかります。

わたくしの「ヨハネの黙示録解説」では、近未来に成就する「聖なる都、新しいエルサレム、即ち、神の国」は日本であるということを検証しているのです。もし、「日本が新しいエルサレム」という主張が正しいならば、「ものみの塔聖書冊子協会の統治体」もまた、預言の悪用をしている邪悪なサタンということになるのです。

日本のエホバの証人の皆様、これから解説していくわたくしの説が間違っているとおっしゃるのでしたら、証拠を挙げて論破してください。読まず、検証もしないまま黙殺するのでしたら、それは、知恵をつくさず、こころをつくさず、力を尽くさず、、しかも、卑怯者というレッテルを自分に貼ることになります。
「ヨハネの黙示録」21章の預言に記されている「臆病者」「卑怯者」「欺瞞をおこなう者」が、神の都に入れず、命の木の権利にあずかれない者とは、まさしく、このような人たちのことです。

エホバの証人は、エホバ神の御名において布教しているのですから、「ヨハネの黙示録」が、提供している「新しいエルサレムは日本なのか否か」という問題に真剣に知恵と心を尽くしてください。
特に、日本のエホバの証人は、この問題を勉強する義務があります。なぜなら、もし、日本が新しいエルサレムであることを聖書が預言しているのなら、あなたがたは、エホバ神の御意志に逆らっていることが明らかになるからです。
今なら間に合います。
急いで。読んでください。

日本は神国 17

118 聖書と日本
エホバの証人 VS 私 3

エホバの証人研究」カレブ氏のホームページから
日本のエホバの証人の活動の実態
統計 日本の会衆の数の推移  2014年3月28日 の記事を見ますと、
日本のエホバの証人の数は、1998年から1999年あたりがピークで、
2000年からはその数が減少に転じたり、あるいは横ばいの状況であることがわかります。
2013年の「伝道者の数に関しては、
1年間で 726人の減少となっていました。」


2015年現在
215000人余の信者さんが、日々伝道活動をしておられるわけですが、
その意気込みもむなしく、減少傾向はとどまらないようです。

統計 信者が増えない国ランキング、2015年1月11日の記事から
(ソース:エホバの証人の年鑑 2015年)
日本では、バプテスマ1件当たりの伝道時間が、33,893時間 
本家のアメリカ合衆国においてさえ、バプテスマ1件当たりの伝道時間が、7,602時間です。

統計-バプテスマに導くために費やす伝道時間(2015年版)より、
少年カレブさんは次のようにコメントしています。
 ・・・現在日本ではエホバの証人になる一人の人を見いだすのに、
 3万時間を伝道活動に費やしていることを意味しています。
 これは40年前の1972年には、1854時間を費やせば、
 一人がバプテスマを受けていた時代からすると、
 15倍以上の開きがあることを意味します。
 仮に時給800円換算で考えるならば、 
 一人のバプテスマのために 2,711万円 の仕事量と同じ時間が
 費やされていることを意味します。
 もちろん、ほとんどの活動が無償の奉仕者による活動ですので、
 文字通りの費用が消費されているわけではありません。

以上、エホバの証人研究」少年カレブさんのホームページから、引用しています。

今、日本の20万人を超えるエホバの証人たちが、あらたなエホバの証人一人を獲得するのに、33,893時間という恐るべき膨大な時間をかけているという事実は、ものみの塔の統治体が「盲人を手引きする盲人」にすぎないという実態を露わにしていることだといえます。
エホバの証人とは、このような不毛な伝道のために右往左往している哀れな集団ですが、それにもかかわらず、「エホバ神の代理人であり、しかも、キリストの唯一の教会であるものみの塔冊子協会の書籍は真理を伝えており、自分たちの、この行動がエホバ神への奉仕であり、イエスの使徒としての献身である」と公言しているのです。

それは、「ヨハネの黙示録」を種に、終末論を歪曲して、「啓示の書 その壮大な最高潮は近い」などという書籍を1000万部ほども売って危機感を煽って信者を集めたことの帰結と申せましょう。 
彼らの伝道内容とは、「エホバの証人になるか?さもないと、エホバ神に絶滅されるぞ!」というスローガンです。
そこに集まった人たちは、統治体の発令したこの言葉を鵜呑みにして、命令されたことを受け売りすることの他には、何の知恵も働かさない人たちなのです。
彼らの教義は、例えて言えば、「卵」について、「卵は、食べるか腐るか、2者択一しかない。どちらを選ぶか」と言っているのと変わりません。「卵」には、「温めて世話をすれば雛が生まれ、また卵を産むようになる。」という本来の生態の部分が置き去りになっているのです。
この「卵」の運命とは、地球の運命、人類の運命のことです。

このような偏った伝道が、「イエスの知恵を教えること」だと言えるでしょうか。
膨大な時間をかけて、伝道されても、知恵のかけらも伝わってこないから、信者が増えないのです。

イエスは「神の国」を宣明することに命を懸けられましたが、イエスがヨハネに託した「ヨハネの黙示録」によると、「神の国すなわち新しいエルサレムが顕現したならば、全地は祝福され、地には平和が実現するのであり、滅びるのはおおいなるバビロンの支配者たち」です。
イエスのお言葉と「ヨハネの黙示録」を吟味して、エホバの証人たちに、イエスの弟子としての「知恵」があるのかどうかを推考してみてください。

「マタイ福音書」22章34-40
 律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。
 「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
 イエスは言われた。「心を尽くし、知恵を尽くし、思いを尽くして、
 あなたの神である主を愛しなさい。
 これが最も重要な第一の掟である。
 第二も、これと同じように重要である。
 隣人を自分のように愛しなさい。
 律法全体と預言者は、この二つの掟にかかっているからである。」

エホバの証人の方々が、イエスの弟子であろうと志すならば、この御ことばの重要さを悟らなければなりません。
そうすれば、エホバの証人の方々が、「知恵を尽くさず、こころを尽くさず、思いを尽くさず、隣人を愛していない。」ことを悟るでしょうから、伝道などをしたり、イエスの弟子であると公言したりすることなどは、とてもできない筈です。
エホバの証人の方々は、イエスの何たるかも、神智の何たるかも知らずして、伝道していると称して、無駄話をしている時間を「奉仕の時間」と錯覚しているのです。
「目覚めよ」とは、他の誰よりも、エホバの証人ご自身への警告です。

わたくしは、「ヨハネの黙示録」の主題が「エルサレム問題」であるにもかかわらす、このことの解決策を無視して、「エホバの証人になれば、地上で永遠に生きられる」という、途方もない嘘の伝道に人生をささげている人たちを哀れに思い、今、そのことを反省してエホバ神の御前にひれ伏して許しを請い、その汚れた衣を洗い直し、「ヨハネの黙示録」の真実を身に着け、これを伝道することによって、真のエホバの証人になる道を備えておいたつもりです。
彼らのうちの14万4千人が、一斉に、イエスの預言である「ヨハネの黙示録」の真理を宣べ伝え、
 
 中東のイスラエルやエルサレムは、エホバ神の御心にかなわないので、
 新しいエルサレムとして日本を選ばれた。
 ただし、国民一人一人が、「この国が、いつから、どうして落ちていったか、
 個々の責任問題はどうかかわっているのか」
 神のご意向に沿って悔い改めることと、
 守護神エホバ神に詫びることをしないかぎり、
 この栄光は取り消されますので、
 私たちに続いて、エホバ神にひれ伏してから、
 その栄光をたたえてください」

こにように、ふれ告げるチャンスが用意されているのです。 「ヨハネの黙示録」2章 4章 5章 14章 21章
2000年昔に、ヨハネが伝道していたあとにイエスが顕れて神の国を宣明したのと同じように。

しかし、日本のエホバの証人たちが、「イエスキリストの使徒であり、エホバに選ばれた者」との思い上がりを捨てず、そもそも、どこから落ち、なにゆえに黄泉の底で蠢いているのかを悔い改めなければ、この役目はほかの日本人たちに振り当てられるでしょう。

日本は神国 14

114 聖書と日本
ニュートンVS私

聖書のことをバイブルということを日本人のほとんどがご存知でしょう。
でも、バイブルとは、単に「書物」と言う意味です。
これに「聖」なる言葉を付け加えて「聖書」と言う熟語にしているために、殆どの日本人は、この書物について、堅くて歯が立たない書物のように感じているのではないでしょうか。
わたくしのような、いわゆる「キリスト教徒」でもなければ「神学者」でもない平々凡々な一主婦が取り組めるような書物であるとは、おそらく誰も考えなかったことでしょう。

わたくしが初めて聖書を読み始めたのは32、3才の頃で、数か月を費やしてどうにか最後のページまで一通り読み終えた時に、最初に脳裏に浮かんだのは、「これは謎々の書である。」という感慨でした。
それなら、誰が、いつ、その謎を解くのか?と言う疑問がわきおこります。
そのとき、わたくしが考えたことは「この書物が謎なぞの書である」と考え、「この謎を解いてみよう」と本気で考えた人が解くにちがいないということでした。

次に、神学者たちや、歴史学者たちは、こうした謎についてどんな見解を示しているのだろうかと考え、数多くの書籍を探索しました。あちらこちらの図書館に通い、カタログで書籍を注文し・・・時間と金銭をだいぶこれに費やしましたが、次第に、こうした学者たちの書籍では、聖書の謎解きの参考にはなり得ないであろうという予想がつくようなりました。
数十冊?いや百冊を超える聖書関係の書籍を調べた中で、私が最も関心を寄せたのは、イギリスのアイザック・ニュートン(1642~1729年)の聖書の預言の研究でした。

ニュートンは、リンゴの落下から閃いたと言われている「万有引力の法則」の発見のほかにも、光学、微分積分学の分野での功績などで世界にその名を知られている大天才ですが、聖書の謎中の謎である「ヨハネの黙示録」についても、およそ50年もの歳月を費やして熱心に研究していたことでも有名な人物なのです。

ニュートンは、生前には、聖書研究について1冊も発行しませんでした。
死後になって、1733年に、『ダニエル書における預言と聖ヨハネの黙示録の預言についての考察』(Observations Upon the Prophecies of Daniel and the Apocalypse of St. John. )』が刊行されました。
この本に書かれていたニュートンの見解のなかに、大変興味を惹かれるところがありました。
このことについては、ヨハネの黙示録」の真実 Ⅰ でも書きましたが、再度とりあげます。

ニュートンのヨハネの黙示録研究
イギリスのアイザック・ニュートン(1642~1727年)は、ヨハネの黙示録を検証して、
 「聖書の預言を理解するためには、
 ・預言者の言語に習熟しなければならない。
 ・預言の解明は、長い間失われていた真理の発見をもたらし、
  正義がそこに住まう王国が打ち立てられるという目的に沿い、
 ・証明される預言は、古い諸預言を開示し、
 ・それら全体は真の宗教を知らしめ、確立するであろう。

と述べています。
法王や神学者よりも、科学者のニュートンの方が正鵠を射た発言をしていると思います。
ニュートンは、カトリックに懐疑の目をむけていたばかりか、ルターやカルビン派のプロテスタントや、英国国教に対しても懐疑的であったために、生前には聖書関係の研究を出版しなかったのだと言われています。
「証明される預言は、古い諸預言を開示し、それら全体は真の宗教を知らしめ、確立するであろう。」というニュートンの見解は、ニュートンの時代のキリスト教やユダヤ教を真の宗教であるとは思っていなかった証拠です。
古い諸預言を開示し」とは、新約聖書中のヨハネの黙示録の解明によって、旧約聖書中の古い諸預言が開示されることを意味し、すなわち、旧約聖書を重んじないパウロ由来のキリスト教をニュートンは肯定していないことを示唆しているのです。

「聖書の預言を理解するためには、まず、預言者の言語に習熟しなければならない。」
とニュートンは言っていますが、「聖書の預言者たち」は、きわめて有機的な言語、ありとあらゆる社会や生きものの習性や特徴を取り込んだ生き生きした言葉で語っています。
それはまた「日本語」の大きな特徴に合致していました。
「古今伝授」という表面的には「歌学伝授」の様相を見せている「一子相伝」の秘伝を垣間見ますと、一首の歌に六種の意味を持たせることができた「歌聖」として柿本人麻呂をあげています。そして、「古今伝授」では、「柿本人麻呂」という固有名詞はどうやら「ファイストス円盤」のことをも指していたようで、「磐固」「磐石」とも称していたようです。
「預言者たち」とは、このように日本語を駆使する人々だったという驚異的な証拠物件となるのが、1908年に発掘された、クレタ島出土の「紀元前1600年頃の「ファイストス円盤」です。
「ファイストス円盤」は、今日なお通用する日本語で書かれているばかりではなく、聖書、ギリシャ神話、「イリアード」「オデュッセイア」等とリンクし、さらに、「古事記」「日本書紀」「万葉集」「風土記」から「魏志倭人伝」中の記事にまでリンクしている驚異的なしろものです。
そのうえ、「雄牛座」「プレアデス星座」「アルゴ星座」「ピラミッド情報」までもが、直径16センチほどの「ファイストス円盤」に盛り込まれているのですから、この粘土板に刻まれている内容は、今日の「CD」にもひけをとりません。
しかも、この円盤を「古事記・日本書紀」は、「臍の緒」また「胎盤」と称しています。

日本の「古今伝授」という歌学伝授の資料をみますと、一首の歌に、過去現在未来を納め、かつ表裏を表し、6次元を一次に盛り込むことができたのが柿本人麻呂たち、歌聖、歌仙といわれる人々であると書かれています。
私たち日本人は、「万葉集」や「百人一首」の中で、歌聖や歌仙たちの歌を知っていますが、知っているのは、その一面にすぎません。
「万葉集」「百人一首」や「古事記」「日本書紀」には壮大な幾何学まで織り込んであります。
その、驚異の一端についてはわたくしのブログでとりあげてあります。
 24 三輪の神の謎  
 三輪の神の不思議  三輪の神の神話とギリシャ神話

を検索してください。

そのスケールの巨大さ、その計り知れない深遠さをうかがい知ることが出来ましょう。
しかし、こうしたことを、三輪神社に告げようとしても、狂人扱いをして、聴く耳をもたず、門前払いされました。
こうして、ブログで公表しても、三輪神社からの反応はゼロです。
国民に視聴料を強制している天下のNHKも、こうした貴重な情報は黙殺したままです。伊勢神宮や三輪神社についての幼稚極まりない解説を美辞麗句を以って塗色して国民に提供して、国民を白痴化し続けて、「縄文時代の日本人は、未開人で文字も数字も知らなかった」と、国民を侮辱し、洗脳し続けるのです。
その縄文時代の日本人の「ファイストス円盤」が、今の伊勢神宮や三輪神社を、そして、政治家や文部省その他の官僚たちを、NHKを、告発するだけの言語力や幾何学の実力を有していたのではありませんか。

「聖書」を読めば、縄文時代のわが日本の預言者たちが、持てる言語力と知識と技術力を駆使して、多次元の表現で構成したメッセージを、「無知のために国家存亡の危機に晒されている」わが哀れな神国の国民に伝えようとしていることがわかります。
そして、聖書と密接にリンクしているファイストス円盤の「多次元」な表現については、その一端をこのブログで紹介してあります。次の項目で検索してください。
 73 世界最大級のミステリー ファイストス円盤 1
 ファイストス円盤と星座 1

 76 世界最大級のミステリー ファイストス円盤 4
 トゥト・アンク・アメン=天稚彦とファイストス円盤


イエスは、「みな、喩えで語られた」と、聖書に記されてあります。
しかし、「パンと魚の奇跡」のパンとは「教え」を意味していると記している「マタイ福音書」16章を、まったく無視して、これを「奇跡」として扱っているキリスト教の欺瞞と過誤を見落としてはなりません。
また、イエスが「魚」と言っている場合、ギリシャ神話の「二匹の魚と化して東方へ逃げたアフロディテとキューピット」の故事
を示唆するためであったことも見逃されています。
こうした欺瞞や過誤や視野の狭さの積み重ねが、聖書解釈を妨げているのです。
人類が経験したことのない「パン5個が5千人分の食事となった奇跡のパン」と強引に説得して手品のような魔術的奇跡を期待させ、人間の底知れぬ欲深さと無知へと誤導しているのです。ですから、「永遠に地上で生きる」などと信じたり、「埋葬した骨から生身の人間が甦って、しかも若返る」などという、不気味かつ、人間をプラナリア( Planaria)以下の下等生物あるいはフランケンシュタインやサイボーグなみの奇怪な存在におとしめる幻想を抱く人々があらわれるようになるのです。
これは、この地球における初期の人間を「よし」と詠嘆されたという創造の神の御ことばを無にする行為です。

わたくしにとって、世界が7日間で完成したかのように表現している聖書の冒頭の章句を「文字通り」に採るよりも、「何の謎かけだろう?」と思うのが先でした。

「マタイ福音書」13章 のイエスの御ことばに注目してみましょう。
 13だから、彼らには譬で語るのである。
 それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。
 14こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。
 『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。
 見るには見るが、決して認めない。
 15この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。
 それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、
 悔い改めていやされることがないためである』。
 
 16しかし、あなたがたの目は見ており、耳は聞いているから、さいわいである。
 17あなたがたによく言っておく。多くの預言者や義人は、
 あなたがたの見ていることを見ようと熱心に願ったが、見ることができず、
 また、あなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである。

 35これは預言者によって言われたことが、成就するためである、.
 「わたしは口を開いて譬を語り、 世の初めから隠されていることを語り出そう」。

若し、私が生きているこの時代が「終わり=完成のとき」ならば、このわたしにも解けるはずであると思いました。
その予感はあたり、ニュートンの時代は機が熟していなかったために、ニュートンほどの大天才をもってしても解けなかったにもかかわらず、知能も並み、学業成績不良の、どこからみても平々凡々なおばさんである私が、この数千前に投げかけられた「聖書の謎」「ヨハネの黙示録の謎」を解くことが出来たのです。

でも、あなたは、これを受け入れ信じることができますか?
若し、信じられないようでしたら、神を信じようともしない神の民への神の呪いがかかっているのです。

「イザヤ書」6章はこう預言しています。
 この民に言え。
 「聞き続けても悟るな、見続けても知るな。
 この民の心は肥え鈍り、耳は遠く、眼は固く閉じ、
 自分で見ず、自分で聞かず、自分の心で悟ることもなく、
 立ち返って癒されることのないように」と。

これが、自国の守護神を捨てて顧みない者たちへの罰なのです。
「ヨハネ福音書」12章40にも、このイザヤの預言が取り上げられています。
それは、実は、偽りの宗教すなわち、偶像を崇拝させる者たちに従うと、おのずから生まれる結実なのです。
つまり、神への敵対者の仕掛けたマインドコントロール術のなせるわざで、同様なことは2000年前のイエスの時代にもあったことです。日本におけるGHQなどの敷衍した教育もまた不毛と荒廃しかうみ出せないません。
この百年間と言うもの、「政府が用意した答えをオームのように覚える者たちだけが優遇されて利権にあずかるというという教育制度が生んだ結実として、考える力が失せた国民と、荒廃しきった国土が残る・・・と預言されているのです。

「そうしたことはいつまででしょうか」と、この「イザヤ書」6章は続きます。
それは「国が荒れ果て、焼かれ、国の中に打ち捨てられたところが増えるまで。」・・・と預言されてあり、「園の木がすっかり伐り倒された後まで・・・」と。
しかし、そのとき、聖なる切り株が残るのです。
「エッサイの根株から新芽がでる」と「イザヤ書」11章に預言されてあるのは、聖なる命の木とダビデの末のことです。
エッサイとはダビデの父のことですから、ダビデの末が、日本の聖なる書と「ヨハネの黙示録」との七つの封印を解くと「ヨハネの黙示録」に預言されてあります。
「ダビデが聖なる契約の箱を運んだ」ことが「サムエル書」下6章に記されていますが、このダビデの行為の結末が明らかとなるのです。

「イザヤ書」11章から  
 エッサイの根株から新芽が生え、
 その根から若枝が出て実を結ぶ。
 その上に神の霊がとどまる。
 それは、知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、
 神を知る知識と神を畏む霊。
 この者は神を畏むことを喜び、
 自分の見たことでさばくのではなく、
 自分の聞いたことで判決をくだすのではなく、
 正義を以って寄るべなきものをさばき、
 公正をもって国の貧しいものたちのために判決をくだす。・・・

 その日、エッサイの根は、国々の旗として立ち、
 国々は彼を求め、
 彼の憩うところは栄光にかがやく。

「ヨハネの黙示録」5章から
 玉座に座したまう方の右手に巻物があるのを見た。
 表にも裏にも字が書いてあり、七つの封印で閉じられていた。
 「巻物を開いて、その封印を解くにふさわしいものは誰か?」と、
 力強い御使いが大声で告げるのを聞いた。
 しかし、天にも、地にも、地の底にも、
 この巻物を開くことのできるもの、
 解くにもことの出来る者は、だれも居なかった。
 この巻物を開くにも解くにもふさわしい者が見当たらないので、
 わたしは激しく泣いた。
 すると、長老の一人が言った。
 「泣くな、見よ、ユダ族の獅子ダビデのひこばえが勝利を得て、
 その巻物と七つの封印を開くことができる。」・・・

聖書や「ヨハネの黙示録」やこれとリンクしているファイストス円盤が問いかけている謎は、日本と言う神の園にある「古事記」「日本書紀」などの聖なる書によって:封印されていましたが、それら「国典が滅多切りされて、権力や金に繋がりそうな部分だけが切り売りされ」ていました。
「古事記」「日本書紀」から、「天照大御神」「天壌無窮の宝祚」などという言葉を、最大限に利用し尽くして、国民を誑かしたあげく、不利になり、不用になると、「古事記」「日本書紀」という国宝を弊履の如く切り捨てて顧みなかったのです。
しかし、その根幹部分が残っていたので、結実をつけることができたのです。 

日本の守護神のお名前があきらかとなって、恵穂葉神が日本に顕現され、私たちの盾となられることを明らかにされ、
しかも、日本のアイデンティティーが証明されても喜ばなくて、神の民と言えるでしょうか。
イエスの御言葉によれば「わたしの羊ではありません。」ということです。

上に揚げた「イザヤ書」11章の預言に、「正義を以って寄るべなきものをさばき、公正をもって国の貧しいものたちのために判決をくだす。」と預言されているのは何故でしょう。
それは、法王も宗教家も政府も学者も、一人残らず恵穂葉神に対しての敵対者に与しているからです。
巻物を解いて、恵穂葉神のメッセージを伝えなければならない立場のものたちは、一人残らず「搾取することに余念のない者たち」なのです。

日本では、今、食べ物が充分に買えない人たちがたくさんいます。切り詰めても、先行き不安で、子供を産み育てることさえも躊躇する若者たちで満ちています。それなのに、10パーセントの消費税をとろうというのです。
政府の集めたお金の無駄遣いはとどまるところを知りません。
不必要な原子力発電所、不必要なスーパーカミオカンデ、不必要な理化学研究所、不必要な海外への大盤振る舞い・・・
こうした本末転倒のその元をさかのぼれば、不必要な明治神宮、橿原神宮、靖国神社、乃木神社、東郷神社などの建立の原点である一連の「偽神」作りに帰すのです。
その実、日本の「現人神」とその配下の政府や財界のすべては、外国の支配者たちの「手下」でした。
したがって、英国の国王たちから勲章を授かり、いちいちご機嫌をうかがう身分なのです。
日本国民は「彼らの奴隷」であり、」わたしたち日本国民に恵穂葉守護神からたまわっていた「神国」という実態をなくすために、祭司の身分でありながら、自らを神となし、ついには、「神国実現の権利」を○ダヤ人と自称する人たちに丸投げしてしまったのでした。
○ダヤ人のラビのTOケイヤー氏の著書に書いてあることですが、「わたしは実は○ダヤ人なのです」と言って、HEブライ語で○ダヤ人たちと付き合われているやんごとないお方もおられるということですから語るに落ちた話です。
○ダヤ人たちの聖なるTAルムードを読んでみてください。もとより、ほんの一部分しか私たち外部の人間には知り得ない書であることは存じていますが、前述のTOケイヤー氏の「○ダヤ5000年の知恵―聖典TAルムード 発想の秘密 」を読んだ時のわたくしは、「これを聖典という人たちの子孫に生まれなくて、本当によかった」と胸をなでおろしました。

「イザヤ書」3章から
 わが民よ、あなたたちの指導者は迷わす者。
 あなたがたの歩む道をかき乱す。
 神は論争するために立ち上がり、
 民を裁くために立つ。
 神は裁きの座にはいり、民の長老たちや司たちに告げる。
 「あなた方は、葡萄畑(エデンの園)を荒れすたらせ、
 貧しい者たちからかすめて、それを自分たちの家に置いている。
 なぜ、あなたがたは、わが民を砕き、
 貧しい者たちの顔をつぶすのか。・・・

「イザヤ書」4章から
 彼らは神の御業を見向きもせず、
 御手の為されたことを見もしない。
 それゆえ、「わが民は無知のために捕えられる。
 その支配者たちは,飢えた人々(狼=おかみ)。
 その群衆は渇き干からびる。
 それゆえ、黄泉は口を限りなく広げる。
 威光もどよめきも歓声も黄泉に落ち込む。
 こうして人は屈められ、人間性は低くなり、
 高ぶる者たちの目も低くなる。・・・・

 ああ、嘘を(頼みの)綱として、咎を引き寄せ、
 手綱で曳くように、罪を引き寄せている者たち。
 彼らは云う。
 「彼(預言者)の言うことを急がせよ。早くせよ。見たいものだ。
 イスラエル(実は日本)の聖なる方のはかりごとが
 近づけばよい。それを知りたいものだ。」

 ああ、悪を善、善を悪と言っているものたち、
 彼らは闇を光、光をやみとしている。・・・

 ああ、おのれを知恵ある者とみなし、
 おのれを、悟りがある者と見せかける者たち、・・・
 強い酒(教義)を混ぜ合わせることにかけての豪の者。
 彼らは利得のために、悪人を正しいと宣言し、
 義人からその義を取り去る。
 それゆえ、火の舌が刈り株を焼き、
 炎が枯草をなめつくすように、
 彼らの根は腐れ、花も塵となる。
 彼らが万軍の主の御教えをないがしろにし、
 イスラエルの聖なる方のみことばを侮ったからだ。
  
この預言の、「イスラエルの聖なる方のみことばをあなどった」者たちとは、
第一に、神の国たる日本の支配者たち、宗教関係者たち、および彼らに追従して民を迷わせ搾取し、民を無知に陥れるものたちのことです。
第二に、アジアの西端に偽りの神の国を建国したものたち、その協力者たち、賛同者たちです。
第三に、預言を簒奪して、「聖書か剣か」と世界の民々を制圧するものたちです。
第四に、聖書の悪用であるとは知らずしてテロに身を投じることも恵穂葉神への冒涜ですが、聖書の預言を完膚なきまで破壊して、「真の神の国を原爆や原子力発電所などで消滅させよう」と謀る「彼ら」の冒涜とは比較になりません。
その彼らに与するものたちの考えは、すべて真逆ですので、見分けることができます。

「ヨハネの黙示録」についての、ニュートン手書きの研究書
2007年6月に、「ヨハネの黙示録」についての、ニュートン手書きの秘密の研究書(約4500ページ)の一部分、「ふたつの聖句の著しい変造に関する歴史的記述」が公開されたそうです。
これは、1936年にロンドンのオークションで、ユダヤ人学者によって落札されたもので、エルサレムにあるヘブライ大学の図書館に保管されているそうです。
この2007年に公開されたという手稿のことについては、わたくしはまだ調べていません。
なぜなら、ニュートンが「ヨハネの黙示録」の預言を解くのに不可欠として熱心に調べたとされている「ダニエル書」の末尾には、次のように書かれているために、ニュートン自身がこの研究を秘密にしていたからです。
 
 ダニエルよ、あなたは終りの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。
 多くの者が、知識を得ようと探りまわるであろう。     「ダニエル書」12章4

 ダニエルよ、行け。
 この言葉は終わりの時まで秘められ、封じられている。 「ダニエル書」12章9
 多くの者は身を清め、白くし、練られる。
 だが、悪者どもは悪を行い、ひとりも悟る者がいない。
 しかし、思慮深い人々は悟る。                「ダニエル書」12章10

この預言に従えば、まだ終わりの時代に存在していなかったニュートンやノストラダムスには預言の謎が解けるはずもないと言えるでしょう。


参照
アイザック・ニュートン 1643年 - 1727年の「ヨハネの黙示録」に関する研究 
ウィキペディア 「アイザックニュートンのオカルト研究」から抜粋

ニュートン 
画像 1689年のニュートン(ゴドフリー・ネラー画)ウィキぺディアより

 1704年に書いた草稿で、ニュートンは聖書から科学的情報をくみ取ろうとしているが、
 ここでニュートンは、世界は少なくとも2060年までは滅びないと予測した。
 ニュートンはこの予言に関して「この指摘は、終末がいつ来るか断言するものではない。
 空想家による性急な当て推量と、それが外れることによって、
 神聖な予言に疑惑が湧くことを防ぐためのものである」と言っている。

 2003年の2月から3月にかけて、
 多くのメディアがニュートンによって書かれた未発表の文書に注目した。この文書で、
 ニュートンは少なくとも2060年までは世界は滅びないと予測していたのである。
 このニュースは広く関心を集め、イギリスのデイリー・テレグラフ紙、 
 カナダのナショナル・ポスト紙、イスラエルのマーリヴ紙、イェディオト・アハロノト紙など
 大新聞の一面を飾り、ネイチャー誌などの科学雑誌でも特集が組まれた。

 この予言について詳述している2つの文書は、
 現在エルサレムのイスラエル国立図書館に保管されている。
 アイザック・ニュートン「卿」(Sir Isaac Newton)と記してあることなどから、
 どちらもニュートンの晩年(1705年以降)に書かれたと考えられている。
 これらの文章は出版する意図を持って書かれたものではないようで、
 ニュート ンはこの中で、
 人気取りのために黙示録の日を推測するものに対する強い嫌悪を表明している。
 また、ニュートンはこれらの文書の中で具体的な終末の日の日付を書いていない。


以上 ウィキペディアよりの抜粋引用おわり 改行はブログ筆者による


日本は神国 13

113 神国のあかしと聖書 7

日本が「真の神国」すなわち「聖なる新しいエルサレム」となるべく用意されていた国であることを証明するのは聖書です。
わけても、「ヨハネの黙示録」は、日本が今から「新しいエルサレム」となる国であることを、徹底的に証明できるように注意深く構成されています。
しかも、それは、季節が来て熟さなければ味わえない果実のように、機が熟さないと解けないようになっており、しかも、エデンの園の指定された者のみがもぎ取ることをゆるされている果実として備えられていたのです。


日本のアイデンティティーを確立する「ヨハネの黙示録
ヨハネの黙示録」は、「日本が自国を神国と言い伝えてきたその真相を解き明かす」ものであり、しかも、日本が「新しいエルサレム」として、「今後の世界平和のために果たすべき使命」を示唆しているのです。
そのうえ、「わが国のわが民族の辿ってきた歴史」までが明らかになるよう構成されています。

天空からの視野
聖書の預言者たちは、まず、創世記を七惑星から書き起こし、アダムとイヴからなる地球の運命からストーリーを展開しています。
聖書を締め括るにあたっても、アトラスのアナグラムのアストロ(宇宙)的視野で、アトラスの地図帳を以って聖書を解かせようと誘導しています。
地図帳を片手に、国形を照合し、図解、絵解きの手法を以って解くべき謎々として構成されているのです。わたくしが、「地図帳」や「ストラボンのギリシャローマ地誌」と「物差し」を片手に聖書の謎を解こうとしたので、この解を得ることができたのです。

ヨハネの黙示録」に現れる日本
1  4章 四つの生きものからなるケルビムの守る神の国
2 10章 陸と海に立脚した御使い
3 12章 子を産む女 子を連れて逃げる女
4 19章 キリストの花嫁国
  21章 キリストの花嫁国
5 21章 終末に現れる「1万2千スタディオン、かつ、
       4角形のエルサレム」
6 21章 新エルサレムの「縦横高さが同じ、四角形」の謎
7  5章 神の民 万の万倍 千の千倍、即ち、
       一億百万余人という人口の予言の符合 
8 12章 42ヶ月間の第2の災い 
       第2次世界大戦で踏躙される日本国の予言。

ヨハネの黙示録」の次の5章の5項目が、天空から見た日本の「国形」の特徴を織り込んだものであることを見てください。
1の「ケルビム」についてはすでに説明しました。
2の「陸海に立脚する御使い」は、日本が片足という特徴を生かしたものです。 
3の「子を産む女」も、「イヴ=伊邪那美命」地図を参照してください。
4の「花嫁姿」は角隠しをしている次の図です。
花嫁

5の「1万2000スタディオン」は、即ち、2220kmの日本の数値です。
1万2千スタディオンの長さの日本
『千葉市を中心とした一千キロメートルのはんい』
        「すすむ千葉県」千葉県教育会館発行

6の「縦横高さが同じで四角形」は、イエスやヨハネと同時代の地誌学者、ギリシャのストラボン(BC64~AD31年頃)の「ギリシャ・ローマ地誌」龍渓書舎刊 飯尾都人訳の記事中の、ギリシャのペロポネソス半島を表現した記事と表現や単位が同じです.
ヨハネの黙示録」を解くにあたって、「ギリシャ・ローマ地誌」の記事を参照するようにというメルクマールとなっているばかりではなく、太古の日本人=倭人の故地を示唆するためでもあるのです。


「ヨハネの黙示録」 21章  抜粋
 聖なる都 新しいエルサレムが、
 あたかも夫のために美しく着飾った花嫁のように、
 すっかり用意を整えられて、神のもとから 天から降りてくるのを見た。

 御使いは、その都と都の門と城壁を測るために、金のものさしを持っていた
 都は四角で、その長さはその幅と同じであった。
 御使いがものさしで都を測ると、1万2000スタディオンであった。

ストラボン著「ギリシャ・ローマ地史」
 ペロポネソスは形がプラタナスの葉に似て、
 長さと幅はほぼ等しく
 共に1400スタディオン(約252キロメートル)に及ぶ。

両者を並べてみると、全く同じ表現であることがわかります。
「ヨハネの黙示録」21章の「四角で長さと幅と高さが同じ」は、「国」を問いかけている謎々で、わが国の形が台形(即ち四角形)であることを予言したものです。
また、「新しいエルサレム」の国民が大地と海に立脚していることを強調していて、死後の天国や極楽に立脚している宗教家達との見解の違いを明らかにするために書かれています。

さらに、これは、1948年に国連が承認して誕生させた、中東のイスラエルや、その地のエルサレムは、恵穂葉神の承認されるものではないということを、世界に知らしめるために預言されているのです。
世界のいかなる人も、エルサレムに関する真実を語ることができないような情勢が人類の未来に訪れることを、数千年昔の私たちの先祖が、すべてを見通して書き残しておいたのです。
人類は、この曲がった、暗黒の世から抜け出す手立てがなくなることを、わが国の太古の預言者たちは予測していたのです。

「ヨハネの黙示録」と現代の日本の状況や出来事の起承転結を、きっちり照合して調べてみれば、日本という「アジアの東端の恵穂葉神の国」の痕跡をすっかり失くして、「アジアの西端にそれらしく見える国を創ろう」という恐るべき計画に基づいて、「日本がこの百年間以上、謀略に絡め捕られているということがわかります。
「ヨハネの黙示録」12章ほかで「日本国が戦災にあい、蹂躙されること」が詳しく予言されていますが、この惨劇がなぜ、わが国の孤立という事態でおこったのか、それが、ミレニアム問題、シオニズム問題、十字軍聖地強奪問題であることを証しているのです。

預言者たちは、こうしたことを予見していたからこそ、無知蒙昧にして口のきけない私たちに代わって、あらかじめ、用意して、聖書を世界に普及させておいたのです。

日本の領土

以上、どれも具体的であり、見事に日本に的中しています。
これは「神の契約」の威力を日本と世界の人々に知らしめるものです。

「ヨハネの黙示録」5章には、預言が成就されたときの人口が予言されています。
なお、神の国の神の民 「万の万倍 千の千倍、即ち、一億百万余人」という人口は、謡曲の「鶴亀」にインプットされています。先祖たちが、最近まで、結婚式の行事にこの「鶴亀」を取り入れていたことの意味が、今ようやく明るみに出たのです。
日本の人口と「ヨハネの黙示録」や「謡曲 鶴亀で謳われている人数」との間に約2千万人の差がありますが、それは、日本に住みながら、日本国籍を取得しながらも、日本国と日本国民を蹂躙し、簒奪し、けなしている人々が、総人口から除外されているからです。その者たちのことは、「ヨハネの黙示録」22章に比喩を以って詳しく書かれています。

ちなみに、1950年頃は、日本人の総人口は8000万人ほどでした。

(以上  13 日本のアイデンティティー  ヨハネの黙示録と日本 からの再掲です。)


以上さまざまな角度から見てきましたように、日本は、近未来に、キリストの預言(「ヨハネの黙示録」)通りに「神聖な神の国」になる国なのです。
ここまでくると、いかなる国といえど、いかなる権力を以ってしても、これを阻止することはできません。
聖書を乱用してきた人々が、その事実を世界から隠しきるために、戦乱や恐慌を画策していますが、そうしたことは、すべて、画策した者たちの頭上に還元されることになるのです。
日本が真正な神の国になるという未来が揺るぐことはもうありません。

神と聖書、或いは、「古事記」「日本書紀」などを、己のために悪用する人々は恥を見るだけです。
ローマ法王、イギリス国教の長であられるエリザベス女王、各国の各派のキリスト教会や統一教会のお偉がた、ユダヤ教のラビの方々から伊勢神宮の祭司長にいたるまで恥を見ることになります。

韓国の旅客船「セウォル号」の運航会社の実質的なオーナー兪炳彦(ユ・ビョンオン)氏が責任追及を逃れるために逃亡のあげく、死亡したとか、殺されたとか、替え玉だとか、取沙汰されていますが、その悪辣な人生の始まりは、聖書の悪用、キリストの悪用でした。
「統一教会」キリスト教は、アメリカが終末の「神の国」となって「世界統一」するように奉仕する使命を持っているという「偽預言」を以って、ユダヤ人やアメリカ政府や日本の政府要人たちからも保護されて、詐欺行為を働いています。

「ヨハネの黙示録」2章と3章は、「使徒であると自称している」キリスト教代表者たちや「ユダヤ人と称している」人々の実態を教えていて、わたしたち日本人の苦難が彼らに由来していることを教えています。

2:2 「わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、また、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いたことも知っている。
2:4 しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。
2:5 だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。もし悔い改めなければ、わたしはあなたのところへ行って、あなたの燭台をその場所から取りのけてしまおう。
2:6 だが、あなたには取り柄もある。ニコライ派の者たちの行いを憎んでいることだ。わたしもそれを憎んでいる。
2:7 耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう。」』

2:9 「わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当はあなたは豊かなのだ。
自分はユダヤ人であると言う者どもが、あなたを非難していることを、わたしは知っている。
実は、彼らはユダヤ人ではなく、サタンの集いに属している者どもである。

3:9 見よ、サタンの集いに属して、自分はユダヤ人であると言う者たちには、こうしよう。
実は、彼らはユダヤ人ではなく、偽っているのだ。見よ、
彼らがあなたの足もとに来てひれ伏すようにし、わたしがあなたを愛していることを彼らに知らせよう。
3:10 あなたは忍耐についてのわたしの言葉を守った。
それゆえ、地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、わたしもあなたを守ろう。
3:11 わたしは、すぐに来る。あなたの栄冠をだれにも奪われないように、持っているものを固く守りなさい。
3:12 勝利を得る者を、わたしの神の神殿の柱にしよう。彼はもう決して外へ出ることはない。
わたしはその者の上に、わたしの神の名と、わたしの神の都、すなわち、
神のもとから出て天から下って来る新しいエルサレムの名、そして、わたしの新しい名を書き記そう。

このように、日本が古代の聖書の民であり、近未来の「新しいエルサレム」の民であることが明々白々に示されているのが「ヨハネの黙示録」です。
「3:10 あなたは忍耐についてのわたしの言葉を守った。」というのは、使徒と自称する欧米の支配者たちや、ユダヤ人と自称する人々から策略の限りを尽くして、搾取されたり、貶められたりしているにもかかわらず忍耐に忍耐を重ねているからです。
もう少しの辛抱ですから、挑戦に乗ってはいけません。


聖書の預言を曲げ足り、盗んだりして伝道する者たちを、日本国の政府はわざわざ、宗教法人として認可しているのです。
わがくにの「オーム真理教」の浅原彰晃も、聖書の預言を悪用した詐欺と殺人行為で金を集めました。
なぜ、このような悪質な宗教を政府が取り締まれないのでしょう。
それは、現今の宗教の殆どが、「詐欺」を行っているからです。
そして、人と言葉が分離し分裂しているからです。

聖書の「ヨハネ福音書」は
 はじめに言葉あり。
 言葉は神とともにあり、
 言葉は神である。

この言葉ほど、含蓄のあることばはありません。
神と隔絶した言葉が蔓延し、さらに人と言葉が分裂した社会に未来はありません。

福島の原子力発電所の大惨事を考えてみてください。
政府は「原子力はクリーンなエネルギーです。」「原子力は最も経済的なエネルギーです。」と宣伝し続けていました。
そうした言葉は、神とも自然とも人とも結びつかぬ言葉であり、「利権金権」とだけ結びつく言葉でした。
今も、さまざまな「利権」と結んだ言葉だけが闊歩していますので、原子力発電所が国民に益することはないでしょうし、国家や国民の問題解決には到達できません。
「理研」のSTAP論文問題は、はからずもリケンというひびきが象徴するような日本の闇を国民の前に提供しました。
このSTAP問題に関して吐かれたすべての言葉は、神とも人とも隔絶しており、「リケン」と「ケンリ」に結びついた言葉ばかり繰り広げられ、じつに空しい限りでした。 
ですから、問題は、なに一つ解決せず、改善の兆しも見えません。
「大山鳴動して鼠一匹」といった趣で、「人の噂も75日」の過ぎるのを、涼しい顔をしてまっているといった体です。
早稲田大学の無責任さも露呈しました。こちらは「赤信号、皆で渡ればこわくない。」とばかり、その巨大な学生数にもの言わせて横車を押しきりました。早稲田大学も、「わが校は学問の府ではなくリケンの巣である。」という立場を堅持したもようです。

こうしたありさまのわが日本ですから、このままいけば、わが日本に未来がある筈もありません。
わが国わが国民に未来がないからこそ、わが先祖たちが預言をして、未来を創生するように備えてくださったのです。
わが先祖たちの預言者たちは人と言葉を分離しなかったばかりではなく、神と言葉を一体化させていました。だからこそ、その予言が時空を超えて実現するのです。
その威力を、私は預言の研究をしてつくづく悟りました。

これに対して、金権や利権と結びついた預言や政策が太刀打ちできるわけがありません。
言葉にもいろいろあるのです。テレビの前でいかにももっともらしく演じて大衆をごまかすことができても、神をごまかすことはできないというその時がくるのです。
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