与那国島沖の海底遺跡が世界史のどこに組み込まれ得るかという問題は未解決の分野です。 せっかくですから、この巨大なテーマを、自由な発想と柔軟な心で考察する(ブログ上の)素人学会ができれば・・・と夢みています。

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広島 府中緑ヶ丘中学校の生徒さんの死を悼む

広島 府中緑ヶ丘中学校中三の生徒さんの死を悼みます

この生徒さんが気の毒でなりません。
今日は、この数日間私の心を占めているこの問題を書かずにはいられない気持ちになりました。
これは、日本の深刻な病根を顕著に表わしている事件です。

広島の中三の生徒さんが無実を訴えることなく、「絶望」した日本
「先生に無実を訴えない」風潮

こうした、正しい主張を言わないという状況は、日本のいたるところで、あらゆる形で定着しているのです。
特に、会社内や学校内に顕著にみられる現象だと考えられます。
このまま、この風習を改めないと、ますます、判断力や思考力を失っていくのではないかと危惧されます。

私の娘がある町立中学校の生徒だった時(今から30年ほど前)に実際に起きた事例を書きます。
あるとき、娘が頭が痛いと言って早く帰ってきました。見ますと頭のてっぺんにこぶが出来ていて血が髪にべっとりついていました。
ただちに医者へ向かうかたわら原因を聞きますと、担任の先生に5センチ角ほどの角棒で打たれたというのです。
「理科の宿題をして来なかった」という理由で。
それも、そもそも、「その宿題は出されてなかった」のに、先生は「1人を除くクラスの生徒全員がその宿題をサボタージュした」と思い込んで激高して残りの43人の全ての頭上に角棒を振り下ろしたのだそうです。角棒が一番強く当たったのがわが娘だったようです。
そして、宿題をやって来たたった一人の生徒というのは「双子」で、どうせ同じ宿題が出るからと姉妹のを書き写しておいたのだそうです。

私が暗澹としたのはそれからです。
先生は、自分の担任するクラスには「宿題を出すのを忘れていた」ことに気が付いていないと言うのです。なぜなら、だれもそのことを先生に言い出さないからです。
わたくしは、クラスの父兄5人ほどに電話して、「先生の判断ミスで無実な生徒たちへの体罰を行ったことを抗議しに行こう」といいましたが、みな「行かない」というのです。
ある父兄にいたっては、「宿題のことでそのくらい厳しくしてくれれば、うちの子も宿題をちゃんとするようになるから」という「歓迎」モードでした。
ああ、先生だけが悪いのではなく、父兄も生徒たちも皆がみなおかしいのです。
「自分の判断」や「自分のその場の都合や気分」それがすべてなのです。
そのこころは先生のつける「内申書」が怖いだけのこと。正義感や間違いを糺すことの必要な場合があるといった認識はすっかり念頭から消えているのです。

私は攻撃の姿勢ではないことを表わすための菓子折りを持参して、娘と二人で中学校の校長先生に面会し、この事実を話しました。なお、5人の父兄の見解も述べました。
「先生から見れば不出来なカボチャかスイカのような頭でも、親にとってはかけがえのない大切な子供なのですから、うちの娘には宿題を万一忘れたとしてもこのような体罰はしないで下さい。」」とお願いし、「担任の先生が、1人を除いて43人もが宿題をさぼるというような事態を起こすようなクラスかどうか、そんなことも判断できなかったということを深く反省してくださるよう」お願いしました。
後日、校長先生と担任の先生とが我が家に「謝罪」に訪ねて来られましたが、クラスの生徒全員に対する謝罪はありませんでした。

数日後、うちの娘は隣のクラスの女子生徒二人がうら、「××先生のケツバットがきつくてアオアザができたお尻が痛いので、何とかしてもらえるようあなたのお母さんに云ってほしい」と頼まれました。
いつの間に、わたしの抗議が知れ渡ったのでしょうね。
わたくしは、「そのお尻を見ていないので、お母さんに見せて。あなたたがたのおかあさんが校長先生に頼むのが筋でしょう」と言いましたが、せっかくわたくしを見込んで頼んできたのに「関係ない」みたいな態度では、それこそ人でなしの行為だと反省して、校長先生に電話で、「○年×組の女子生徒にはかくかくしかじか言いましたが、聞き捨てにはできませんのでお伝えしておきます」と連絡しておきました。

次の年、また娘が手が痛いと早めに学校から帰ってきました。右手の親指と人差し指の間の付け根が腫れあがっていて鉛筆を持つこともできませんでした。
教室で撃ち合いをして遊ぶ生徒たちのBB弾に、近い距離で当たったのだそうです。
「これが眼だったら失明だった!!」と、ぞっとしました。
「なぜ先生に言わないの?」というと、「そんなことをしたら、みんなにいじめられるに決まっているじゃない!」とのこと。
即、対策を考え、「大急ぎで学校に戻って養護の先生に手当てしてもらうよう」指示し、「犯人たちにいちゃもんをつけられたら、手が腫れて痛くて仕方がなかったから手当てしてもらっただけよと言って手を見せておやりなさい」と教えました。

養護の先生は直ちにすべてを察して娘のクラスに駆けつけ、同時に担任の先生を探しだし、クラスの生徒たちのカバンやロッカーや部室を電光石火で調べてBB弾やガンなどを「卒業の時まで預かる」と没収してしまいました。
案の定、「おまえがチクッタせいで高価なBB弾やガンをみな取り上げられてしまった」と逆ギレされたそうです。「人を撃ったからでしょ、自分も撃たれてみなさいよ。わたしは手当てしてもらっただけ。」と、包帯の手を見せて切り抜けたそうです。

わたくしの娘が直接体験しただけでもこのようなありさまですから、この中学校全体ではどれほどの問題を抱えていたのかが思いやられますが、これでも、むしろ、良い先生の多い比較的良い中学校だった学校でのできごとなのです。
ですから、全国となると、それ以上のことがありすぎるほどあると断言できるでしょう。
こうした事態は、その内部に身を置いて体験した者以外には決して見えないことなのです。
そして、ここに書いたことを詳しく読みなおしてみてくださるとわかるように、当事者や先生たちにも「何も見えてはいない」し、問題の核心部分で改善されてなどいないということに気づかれて愕然とされるでしょう。

その直後、今度は友人から、こんな相談を受けました。
私立中学校の寄宿舎にいる息子T君の「眼のまわりがパンダになっていて、どうやら、担任の先生の顔面パンチをくらったみたいです」と、T君の同級生の母親から電話でしらせてきたというのです。
その原因は、T君がバンドエイドを2缶買ってきたら、次の日、それをきらしている同じ寮の生徒が「1缶売ってくれないか」「ああ、いいよ」と1缶譲ったやりとりを先生が目撃して、校則を破ったと激高したらしいのです。
「そのくらいのことでパンダみたいな眼にされてはたまらない、真相を聞きただして、若しそれだけが原因なら厳重抗議しないとだめですよ。T君には、両親が断固味方になると宣言したほうが良いでしょう。・・・」とアドバイスしました。
友人夫婦は中学校に駆けつけ、T君の顔を見るなり医者に連れて行き、校長に真相をただしてくれるよう要請しました。
殴った先生にも問いただしますと、やはり、「未使用のバンドエイド1缶を、買った時と同じ値段で譲っただけのこと」、それ以外には何の原因もありませんでした。T君にしてみれば、それが校則違反にあたるなどとは思ってもいなかったのです。不便な寮生活の、運動部の生徒たちにとって、風呂のとき剥がしたバンドエイドを張り換えるのは日常のことで、それは無いと困るような必需品です。
校長と担任とがはるばるT君の家まで謝罪に来ました。T君の親もまた私立学校経営者ということがわかったので、こうした低姿勢に出たのでしょう。

クラスの1生徒が見かねて自分の母親に話さなければ、また、その母親が知らせてくれなければ、担任が短絡的な暴力をT君に振るったことなど私の友人は知らないままだったでしょう。
T君本人は親にも誰にもなにも言わなかったからです。
強者が弱者を理不尽にしいたげても、普通何ごともないかのようにうちすごすのが最善の策だと思っているのです。

その私立中学校で、やがて一人の男子生徒(寮生)がその学校内で飛び降り自殺をしました。その原因も経過も何も、そこの生徒であるT君すらも知りません。新聞にも一行も掲載されませんでした。T君がそれを知っていたのは、「その生徒の弟も寮生」だからでした。
そして、そのことをT君が自分の母親に告げたのは、「その自殺した生徒の弟も自殺するかもしれない」という恐れに駆られてのことでした。
というのも、自殺した生徒の弟には女子生徒たちが絶対近寄らないのですが、そのひどく敬遠される原因というのは強烈なワキガのせいでした。「兄の方の自殺の原因は全く知らないが、弟の方は自分のまわりのその奇妙な雰囲気を誤解しているようで、とても暗い」というのです。
今どきの子たちは、「からかう」ことすらせず「沈黙」を貫くのですね。
「苛め」で告発されるのも「おせっかい」と思われるのもいや、なんによらず減点を回避しているのでしょう。
ワキガは手術で簡単に解決できるそうですし、しかもその兄弟の父親は病院経営者なのです。
私の友人はその生徒の親に、「息子さんがワキガで周囲から避けられているそうですが、なにかの方法があるのでは・・・」と教えたそうです。

知恵を働かせて、善意の限りを尽くして、おたがいの困難に対処して、助け合わなければやっていけない、今はそんな危機の時です。
広島の府中緑ヶ丘中三の生徒さんも「まさかこの生徒が」と、誰かが気の毒がってくれればこんな悲劇はおこらなかったでしょう。
私の娘の体験にしても、先生が、「まさか、このクラスの生徒たち全員が宿題サボタージュするわけがない」という信頼を寄せてくれなかったことは悲しいことでした。
しかし、「先生が間違っています。わたしたちはそんな宿題を与えられていません」と誰も言えなかったということは、もっと悲しいことでした。日本の子供たちは、こうして「学校は上意下達の世界になっていて、生徒たちは骨抜きに仕上げられているんだな」とショックを受けたことでした。

こうしたことが積み重なると、それがさらに次のような人々をうみだすという悪循環を招いているのです。
1  判断力がない
2  自分の判断は正しいと思っている
3  落ち度はみな他の人のせいと思う
4  思いやりがない 他人のことはどうでもいい
5  善処するという気持ちがまるでない
6  努力しない ただし 資格を取るなど自己のためなら別
7  利益は自己に 不利益を他人にまわす
8  無責任
9  保身しか念頭にない
10 時の過ぎるのを待つ

こうしたことは、概して日本中を覆い尽くしている怖ろしくブラックな問題であり、ありとあらゆるところに存在している事実です。
一例は、わたくしが掲げている「邪馬台国問題」が何の検証もされず、東大京大も政府も黙殺していることを見れば歴然です。
しかし、国民のみなさまにとっては、この問題についての知識はあまりにも少ないので、判断は困難でありましょう。
でも、次の例は判断することが容易だと思います。
それは、世界有数の地震国である日本列島に原子力発電所を54基も設置したことの善悪、あるいは利不利の判断のことです。

おかげで、何十兆円という税金がこの厄介極まりない原子力発電所につぎ込まれ、今後もそれ以上につぎ込まれる見通しという負の財産でしかない「賽の河原の石積」事業です。
これを敷衍した政治家や電力事業者や学者たちやゼネコンたちは、経済力やら権力やら利益やら名誉やら、はては勲章まで授与されて、子孫や子分たちを片っ端から代議士や大臣にしているありさまです。
この原子力発電所のせいで命を失ったり、家や財産をなくした人々への責任どころか同情心などは見えません。
まあ「御言葉とか文書」の中には、責任や同情心が見らるとおっしゃるかもしれませんが、それは、例の広島の府中緑ガ丘中学校の校長先生の記者会見の言葉と同様に、ただの「作文」にしか受け取れません。

日本国の総理大臣や政治家の重要極まりない任務は、この原発で甚大な被害を蒙った人々に、政府としての同情心を寄せ、責任を果たすことです。
政府は、世界に向けて、日本国が犯したこの重大な「核の問題」に対処する必要があるので、莫大な予算を計上しなければならないという事情を訴えなければなりません。従って、難民救済のための数百億円という出費をすることを免除してもらえるよう国際的に説得するのが任務でしょう。
そもそも、今日の難民の主要な原因は、パレスチナ周辺の地勢や石油そして宗教的野心のためにテロを画策したり3枚舌外交を
して「劫火」の火種を蒔いたイギリス等が率先して責任を取るべき問題です。
そして、核燃料を無言有言の圧力でもって日本に売りつけるよう計らったのも同じ勢力のものたちだからです。
日本の政府は自国の被災難民の問題をこれ以上なおざりにしないで、外国の難民救済に数百億円拠出することよりも優先することです。
そこにすばらしい前例を作るならば、国民はもっと善良になり、もっと賢くなり、国は復活に向かうでしょう。
若し、このままを続けるならば、国はますます衰微するでしょう。
どうか日本政府はここに気づいてください。
 

日本は新しいエルサレムとなる 4

戦後70年 1

このところ、日本の「戦後70年」というフレーズをよく耳にします。
終戦のとき6歳だったわたくしが、76歳の老人なのですから、「戦争を知っている」と言えるような人々は、殆んど、残っていません。

ところで、聖書には、「70年」についての重要な預言がいくつかあります。
それらは、何を問題にしているのでしょうか。
「イスラエルの民」が、「捕囚の身分から解放されて、守護神恵穂葉神の宮を再建する」という預言なのです。
世界中の殆どの人々が、この預言を、パレスチナに1947年にイスラエル国を建国したユダヤ人に対する預言であると思っています。キリスト教徒すらそう表明している人が多いのです。

「イスラエルの民」と云うのが、実は中東のイスラエルのことではなく、「日本民族」のことであり、「守護神恵穂葉神の宮を再建」して、日本が、「ヨハネの黙示録」19章から」22章にかけて預言されている「新しい聖なるエルサレム」になるという預言であることを主張しているのは、世界にただ一人、わたくしだけです。

聖書には、「70年」というメルクマールをつかって、「バビロンによる70年の捕囚」から救い出され、エルサレムを再建するという預言がいくつかあります。

「ゼカリヤ書」1章   
主要テーマは、捕囚の70年から解放されエルサレムの宮が建て直されることです。

12 主の使いは言った。「万軍の主よ。いつまで、あなたはエルサレムとユダの町々に、あわれみを施されないのですか。
あなたが呪って、七十年になります。
14 私と話していた御使いは私に言った。「叫んで言え。万軍の主はこう仰せられる。「わたしは、エルサレムとシオンを、ねたむほど激しく愛した。
15 しかし、安逸をむさぼっている諸国の民に対しては大いに怒る。わたしが少ししか怒らないでいると、彼らはほしいままに悪事を行なった。」
16 それゆえ、主はこう仰せられる。「わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る。そこにわたしの宮が建て直される。・・万軍の主の御告げ。・・測りなわはエルサレムの上に張られる。」
1:17 もう一度叫んで言え。万軍の主はこう仰せられる。「わたしの町々には、再び良いものが散り乱れる。主は、再びシオンを慰め、エルサレムを再び選ぶ」


「エレミヤ書」25章 七十年捕囚 
8 それゆえ、万軍の主はこう仰せられる。「あなたがたがわたしのことばに聞き従わなかったために、
9 見よ、わたしは北のすべての種族を呼び寄せる。・・主の御告げ。・・すなわち、わたしのしもべバビロンの王ネブカデレザルを呼び寄せて、この国と、その住民と、その回りのすべての国々とを攻めさせ、これを滅ぼして恐怖とし、あざけりとし、永遠の廃墟とする。
10 わたしは彼らの楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、ひき臼の音と、ともし火の光を消し去る。
11 この国は全部、廃墟となって荒れ果て、この国はバビロンの王に七十年仕える。
12 七十年の終わりに、わたしはバビロンの王とその民、・・主の御告げ。・・またカルデヤ人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする。
13 わたしは、この国について語ったすべてのことば、すなわち、エレミヤが万国について預言し、この書にしるされている事をみな、この地にもたらす。
14 多くの国々と大王たちが彼らを奴隷に使い、わたしも彼らに、そのしわざに応じ、その手のわざに応じて報いよう。


「エレミヤ書」29章 七十年後の帰還と幸いな約束
10 主はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。
11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・主の御告げ。・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
12 あなたがたがわたしを呼び求め、わたしに祈るなら、あなたがたに耳を傾けよう。
13 もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。


日本は自国が神国であったことを忘れ、西洋仕込みの革命のどさくさにまぎれて、神ならぬ祭司を「神と崇める」という愚を犯しましたので、神罰を蒙って「国は焼土」となりました。そして、焼土から復興して70年の時を経ました。

苦難を忘却
偽りによる自信過剰
驕りによって破たん
神への信仰の欠如

こうした状況が積み重なって、今まさに崩壊の崖っぷちにいることや、日本国民は捕囚の民となっていることすら気づかないアホでマヌケな国民となっています。
このような元「神の民」を、覚醒させ、日本を「新しいエルサレム」にしようという守護神恵穂葉のご計画が「70年」というキーワードでたどれるようになっているのです。


まず、ゼカリヤの時代の「イスラエルやユダヤの捕囚時代」の説明をしておきます。

ダビデの子ソロモンの死後、イスラエルの国は北イスラエルと南ユダに分裂しました。
彼らは主護神に背いたため、紀元前721年に北イスラエルがアッシリヤによって滅ぼされ、紀元前586年に南ユダ国と、その首都エルサレムがバビロンによって滅ぼされました。
そして「捕囚の70年」がすぎます。
「70年」後、バビロンを倒したペルシヤ帝国の初代の王クロスが、自分の国にいるユダヤ人にエルサレムに帰還して、神殿を再建せよという布告を出します。
そして大祭司ヨシュアが率いるユダヤ人約4万2千人がエルサレムに戻ります。
しかし、神殿の再建を喜ぶ人々ばかりではなく、喜ばない人々もいました。
反対者らは脅したり、政治家を買収したりし、さらに、ペルシヤの王がこの建設を中止させるように仕向けました。
(今後、同じことが起こ理得ると想定されます。)
時すでに、クロス王ではなく、他の王になっていたので、神殿再建の中止命令が出されました。
そこに現われたのが、預言者ゼカリヤとハガイです。
ゼカリヤは、このとき、民の心を奮い立たせ、神殿再建を実現させた預言者です。


「ゼカリヤ書」1章   ( )内は、わたくしのコメントです。
2 主はあなたがたの先祖たちを激しく怒られた。
(その結果、捕囚の民になったのです。)
3 あなたは、彼らに言え。万軍の主はこう仰せられる。わたしに帰れ。万軍の主の御告げ・・そうすれば、わたしもあなたがたに帰ると万軍の主は仰せられる。
4 あなたがたの先祖たちのようであってはならない。先の預言者たちが彼らに叫んで、「万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの悪の道から立ち返り、あなたがたの悪いわざを悔い改めよ。」と言ったのに、彼らはわたしに聞き従わず、わたしに耳を傾けもしなかった。

7 ダリヨスの第二年のシェバテの月である第十一の月の二十四日に、イドの子ベレクヤの子、預言者ゼカリヤに、次のような主のことばがあった。
8 夜、私が見ると、なんと、ひとりの人が赤い馬に乗っていた。その人は谷底にあるミルトスの木の間に立っていた。彼のうしろに、赤や、栗毛や、白い馬がいた。
9 私が、「主よ。これらは何ですか。」と尋ねると、私と話していた御使いが、「これらが何か、あなたに示そう。」と私に言った。
10 ミルトスの木の間に立っていた人が答えて言った。「これらは、地を行き巡るために主が遣わされたものだ。」
11 すると、これらは、ミルトスの木の間に立っている主の使いに答えて言った。「私たちは地を行き巡りましたが、まさに、全地は平安で、穏やかでした。」

ゼカリヤの第一のビジョンです。「ヨハネの黙示録」の4頭の馬とリンクしています。
「全地の平和と安穏」というテーマが提示されていることがわかります。
それが「エルサレム問題」であることが次の預言でわかります。

12 主の使いは答えて言った。「万軍の主よ。いつまで、あなたはエルサレムとユダの町々に、あわれみを施されないのですか。
あなたが呪って、七十年になります。
13 すると主は、私と話していた御使いに、良いことば、慰めのことばで答えられた。
14 私と話していた御使いは私に言った。「叫んで言え。万軍の主はこう仰せられる。「わたしは、エルサレムとシオンを、ねたむほど激しく愛した。
15 しかし、安逸をむさぼっている諸国の民に対しては大いに怒る。わたしが少ししか怒らないでいると、彼らはほしいままに悪事を行なった。」
16 それゆえ、主はこう仰せられる。「わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る。そこにわたしの宮が建て直される。・・万軍の主の御告げ。・・測りなわはエルサレムの上に張られる。」
1:17 もう一度叫んで言え。万軍の主はこう仰せられる。「わたしの町々には、再び良いものが散り乱れる。主は、再びシオンを慰め、エルサレムを再び選ぶ」

ゼカリヤの時代に、捕囚の七十年の期間が過ぎて、ユダヤ人たちはエルサレムに戻ってくることができました。しかし、
エルサレムの町は廃墟であり、かつての王国とはちがって、ペルシヤ帝国の支配下で、抑圧されてほそぼそと生きていたのです。
つまり捕囚であったのです。
ゼカリヤが見た幻は、単に当時のペルシヤが支配する時代だけのことではありません。終末預言でもあるのです。
そのとき世界がどうなっているのかをビジョンとして具体的にみせているのです。
ですから、ゼカリア書のこの預言は、まずは終末時代の日本に対する預言であります。中東のイスラエルやエルサレムは捕囚になってはいません。
ここでは、エルサレム日本とそれをとりまく世界に向けても発信されているのです。日本を捕囚に貶めている「安逸をむさぼっている諸国の民に対しては大いに怒る。彼らはほしいままに悪事を行なった。」と指摘されたのです。

「ゼカリヤ書」は、新しいエルサレム日本を明かすための「ヨハネの黙示録」と密接な関係を持っていますので、この関係を吟味しなければなりません。
現在「70年間捕囚となっている国民は日本を置いてほかにありません。」パレスチナのイスラエルではないことをこのように明らかにする重要な預言、それが「捕囚の70年」という預言です。
真のイスラエル(日本)は、全世界の注目と、そして圧力を受けている小国です。そして、圧迫を受けている日本人の周りで、世界の諸国が安逸を貪っています。「安逸を貪っている」諸国という言葉が「米欧」を指しています。


ゼカリヤの第二のビジョン  神が「諸国」に対して怒りを顕にされる
どのような国に怒りを示されるのでしょうか。

1:18 私が目を上げて見ると、なんと、四つの角があった。1:19 私が、私と話していた御使いに、「これらは何ですか。」と尋ねると、彼は私に言った。「これらは、ユダとイスラエルとエルサレムとを散らした角である。」
1:20 そのとき、主は四人の職人を私に見せてくださった。
1:21 私が、「この者たちは、何をしに来たのですか。」と尋ねると、主はこう仰せられた。
「これらはユダを散らして、誰にも頭をもたげさせなかった角を、この者たちは、これらの角を恐れさせ、また、ユダの地を散らそうと角をもたげる国々の角を打ち滅ぼすためにやって来たのだ。」

角とは、聖書では力の象徴であり、ここでは、その王国を表しています。
「ダニエル書」7章には、獅子、熊、豹、そして鉄のきばを持ち、十の角を持っている獣がでてきます。これらは共通の国々を指しています。
「ダニエル書」2章のネブカデネザルが夢で見た像は、金の頭、銀の胸と両腕、青銅の下腹、そして鉄の足でした。足の指は粘土が鉄と入り混じっています。人手によらず切り出された石が足の指を打ち、人の像は粉々に砕け散ります。そしてその石が大きな山となるとあります。これが、その後の神の国、新しいエルサレム」です。
これは、軍事大国ゴリアテを「一石」で倒したダビデの再現です。


ゼカリアの第三のビジョン  ものさしで測る 「ヨハネの黙示録」11章、21章とリンク
「ゼカリヤ書」2章
2:1 私が目を上げて見ると、なんと、ひとりの人がいて、その手に一本の測り綱があった。
2:2 私がその人に、「あなたはどこへ行かれるのですか。」と尋ねると、彼は答えた。「エルサレムを測りに行く。その幅と長さがどれほどあるかを見るために。」

聖書には、測り綱あるいは測り竿を使う場面がいくつか出てきますが、それは、神殿か、あるいはエルサレムの大きさを測るためのものです。
ヨハネの黙示録」11章にも「測り」が出てきます。神殿の寸法を測るのですが、聖所や内庭の寸法を測るだけにせよ、外庭はそのままにしておきなさい、外庭は異邦人のものだから、と預言されます。、
ヨハネの黙示録」19章では天のエルサレムが測られます。一辺が12000スタジオン、すなわち、2220キロメートルの千年王国におけるエルサレムの寸法です。
これを測ったのはわたくしで、これによって、あたらしい聖なるエルサレムが日本であることを証明出来ました。

次に、エルサレムとは対照的なもう一つの大きな都について、主は言及されます。

2:6 さあ、北の国から逃げよ。・・主の御告げ。・・天の四方の風のように、わたしがあなたがたを散らしたからだ。・・主の御告げ。・・
2:7 さあ、シオンにのがれよ。バビロンの娘とともに住む者よ。

 「北の国」、これはバビロンのことです。エルサレムを滅ぼしたとき、彼らは北からやってきました。
日本を蹂躙したのもNATOでした。自らが「北の国々」であることを名乗っているNATOとは北大西洋諸国とアメリカを中心とした国際的な軍事同盟のことで、「国際連合」の理事国のことです。

2:8 主の栄光が、あなたがたを略奪した国々に私を遣わして後、万軍の主はこう仰せられる。「あなたがたに触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ。2:9 見よ。わたしは、こぶしを彼らに振り上げる。彼らは自分に仕えた者たちのとりことなる。」と。このとき、あなたがたは、万軍の主が私を遣わされたことを知ろう。

「申命記」32章10「主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。」

2:10 シオンの娘よ。喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。・・主の御告げ。・・
2:11 その日、多くの国々が主につき、彼らはわたしの民となり、わたしはあなたのただ中に住む。あなたは、万軍の主が私をあなたに遣わされたことを知ろう。
2:12 主は、聖なる地で、ユダに割り当て地を分け与え、エルサレムを再び選ばれる。」

「聖なる地」とは、新しいイスラエルのことです。「聖地」という呼び名は聖書にここにしかdてきません。

2:13 すべての肉なる者よ。主の前で静まれ。主が立ち上がって、その聖なる住まいから来られるからだ。

これは、「新しい聖なるエルサレム、12000スタジオン、すなわち2220kmという数値を持っている日本のことです。
「空中に浮揚するキューブ型」のエルサレムや死後の天国への約束ではありません。
この数値は単なる象徴的数値ではなく、実態を持つ神の国の数値であり、すべての「肉体のままの人類に提示されている普通の「聖なるエルサレム」の中に守護神恵穂葉神がお住まいになると言われるのです。


日本は新しいエルサレムとなる 3

125 1945年8月15日

日本の無条件降伏による変革
1945年8月14日のポツダム宣言受諾から,52年4月28日の対日平和条約発効までの期間の約7年間は連合国によって日本の動向が決められました。
この占領期の政策全般を対日占領政策,ないし占領政策といいます。
1945年8月15日から,1952年4月28日まで、約7年間というもの「日本国が、主権を失っていた。」のです。
その間、どのようなことが施行されていたのでしょう。
例えて言えば、日本の岐路を決め、レールを敷き、「機関車GHQ号」が日本国を牽引したということです

7年の占領を経て、日本国の主権が還されるようになりましたが、その「講和条約」のサインをしたのは、GHQが任命した吉田茂首相という「機関車GHQ号の運転手」でした。
その後も、「吉田学校」と言われた吉田茂門下生がつぎつぎ政権を執ったり、政府の要職についたり、官僚組織と財界のテコ入れをしたりして今日の日本があるのですから、GHQの敷いたレールと機関車はいまなお走り続けていると言えます。
麻生太郎元総理は吉田茂氏の孫ですから、こうした権力構造にもGHQの影を見ることができます。

1951年9月8日 「日米安保条約」の最初の調印を、日本国民の誰とも相談しないでやってのけたのは吉田茂氏ですが、その「吉田学校」の生徒佐藤栄作氏の一族である安倍晋三首相(60年安保改正の岸信介元首相の孫でもある)が、2015年9月19日 「日米安保条約」の実質的改造のための「憲法」曲芸をやってのけたのを目の当たりにして、70年昔のGHQ占領のくびきは、今なお日本国の首にあることを実感できます。


70年前のGHQ占領時代を簡単に列記
1945年8月末にマッカーサーが厚木飛行場に降り立ち、9月2日に降伏文書の調印が行われると、全国的に占領が開始されました。
占領軍の命令が最高司令官から日本政府に出され、日本政府が責任をもって施行する間接統治方式であり、占領軍の命令はポツダム勅令(新憲法施行後に「政令」)により超法規的な絶対的な性格をもっていました。

1945年 9月22日、「降伏後におけるアメリカの初期対日方針」として、
「日本が世界の平和及安全の脅威になること」の防止のために「平和的且責任ある政府」の樹立が必要とされ、政治、経済など各分野での「非軍事化・民主化」を推進することにしました。
日本の弱体化と同時にアメリカの国家的利益をあげるという目的を第一に布石したのです。

1945年10月4日の「政治、民権及信教の自由に対する制限除去に関する件」で、
治安維持法などの弾圧法規の廃止、政治犯の釈放、内務省警保局・特高警察などの廃止、警保局長・警察幹部の罷免をおもな内容としていましたが、信教と思想を改革する意図を含んでいました。

10月11日 「五大改革の指令」が発令されました。
 選挙権付与による婦人の解放
 労働組合の結成奨励
 学校教育の自由主義化
 秘密検察など弾圧諸体制の廃止
 経済機構の民主主義化

1945年12月 「神道指令」で、国家神道の廃止と政教分離政策が行われ、
1946年1月 「公職追放令」で、軍国主義者や国家主義者たちの公職からの追放が指示されました。

1946年1月7日、いよいよ日本国憲法作成の仕上げにとりかかりました。
SWNCCで「日本の統治制度の改革」(SWNCC228)が決定され、マッカーサー最高司令官に指示されました。

この指示に基づき、総司令部内に「草案作成のための三原則」
1 天皇を元首とする、
2 戦争を放棄する、
3 封建制度を廃止する、
として憲法草案の作成を指示しました。

1946年2月13日 マッカーサー草案が日本政府に提示されましたが、
その特徴は、国民主権、象徴天皇制、戦争放棄などでした。
象徴天皇制を国民主権や戦争放棄とワンセットに位置づけることによって国民を納得させ、国際世論にも対応でき、占領と管理が容易になると判断したのでしょう。
このような複雑な背景において、新憲法が1946年11月に公布され、翌年5月に発効することになりました。

GHQは、上記のような確固たる意図のもとに占領政策を遂行して、「日本をアメリカナイズし、革命的に変貌させた」のでした。
その結果、「個人主義的、物質的、消費的、短絡的、享楽的な」今日の日本に仕上がったわけです。

GHQは、大きな欠点のある憲法を発布しましたが、唯一、「平和を目的とし」「戦争を放棄する」を謳った「憲法9条」という、世界に類を見ない「珠玉」を、わが日本国に残してくれました。
これは、あの悲惨極まりない第二次世界大戦を体験した私たち日本の庶民の、終戦時の「心からの叫び」が、「日本国憲法」に封じ込められたかのようでした。
日本国を弱体化する目的を持っていたにせよ、日本の政治家、鷹派官僚、軍人や軍産複合体、資本家たちが、「戦争」を遂行する手立てが無くなったことを大いに喜びました。


GHQ占領の終了? 否
1951年9月8日 サンフランシスコ平和条約調印
1952年4月28日 発効 この条約の発効により、連合国による占領は終わり、日本国は主権を回復した、と思いました。

 1951年9月8日
 アメリカ合衆国のサンフランシスコで講和会議が開かれ、
 日本国と48ヶ国によってサンフランシスコ平和条約に、
 第三次吉田内閣の吉田茂が調印し、単独講和に踏み切りました。
 サンフランシスコ平和条約とは、第二次世界大戦後の平和条約で、
 日本国と連合国各国の平和条約であり、
 連合国による占領が終わるというものです。
 しかし、沖縄・奄美諸島・小笠原諸島はアメリカの施政権下に置かれました。


午前中に平和条約そして午後には安保条約
「吉田ひとりで安保条約に署名   帰ってきた日本(17) 」  2012/12/29
日米外交60年の瞬間  日本経済新聞 特別編集委員・伊奈久喜 より抜粋


1951年9月8日 吉田茂首席全権は、午前中にサンフランシスコのオペラハウスでサンフランシスコ条約に署名し、
午後5時(日本時間9日午前9時)からサンフランシスコの
第6軍司令部プレシディオ(将校集会所)で日米安全保障条約に署名しました。

その前夜に米側から「8日午後5時にプレシディオで安保条約署名式を行う」と通告を受けた外務省条約局長だった西村熊雄によれば、
 吉田茂が講和条約受諾演説をした7日夜の会議が終わり、
 午後11時近くに議場を出ようとすると、
 GHQ外交局長だったシーボルト大使から呼び止められ、連絡された。
 深夜だったが、吉田茂が宿泊していたスコット邸に西村熊雄は赴き、
 これを伝えた。 
 講和条約への署名が8日の昼前とされていたから、
 午後5時はそれから5時間後である。
 平和条約の署名後数時間で安保調印となったのにたいし、
 代表団の多くが失望感を懐いた。

と、西村熊雄の回想「サンフランシスコ平和条約 日米安保条約」(中公文庫)に書いています。

以上 「吉田ひとりで安保条約に署名   帰ってきた日本(17) 」  2012/12/29
日米外交60年の瞬間  日本経済新聞 特別編集委員・伊奈久喜 より抜粋です。

アメリカは、GHQ]代表として、日本国に「平和の条約」によって、日本の主権を回復させるとしながら、沖縄・奄美諸島・小笠原諸島を占領下に置き、一方で、駐留軍を日本に常駐させるという「半占領状態」を認めさせる条約に調印させました。
それは、「戦争放棄」憲法を与えておきながら、後の「アジアにおける朝鮮戦争やベトナム戦争などに協力させようという布石でもありました。こうして、日本国に「平和国と戦争国」の二面性の仮面がGHQによって与えられたのです。



安倍内閣のとった「憲法]の解釈変更
日本の国会、自衛隊の海外任務拡大を承認
2015.09.19 Sat  CNNニュースより 
 参議院は19日未明、
 国内で大きな論議を呼んでいた安全保障関連法案を可決した。
 これにより自衛隊は限定的な条件のもと、
 海外での戦闘に参加できるようになり、
 日本は70年に及んだ平和主義からの大きな転換点を迎えた。

 賛成票は148、反対票は90で、約半年以内に施行される。
 衆議院は7月に同法案を可決していた。
 同法案は、第2次世界大戦後に平和憲法として制定された日本国憲法
 第9条の解釈を変更するもの。
 第9条は国際紛争の解決手段としての戦争を禁じている。
 「自衛隊」として知られる日本の軍隊は、この解釈変更により、
 限定的な役割のもと海外の紛争で同盟国を守ることが可能になる。
 自衛隊の海外での活動はこれまで、人道的な役割にとどまっていた。
 憲法9条1項は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めている。

以上 CNNニュースより
戦後70年という節目
戦後約70年という節目は、元神の国の日本にとって「天下分け目の関ヶ原」ともいうべき時であることが預言者たち、エゼキエル、エレミヤ、ダニエルによって預言されています。
わかりやすく云うなら、戦争を遂行して国を守る(実は、国を滅ぼす)と主張する者たちの台頭です。
それらの者たちは、「神の国を葬り去ろう」という陰謀のもとに張り巡らされている罠があることを信じない政治家や資本家たちなのです。
欧米の彼らは、「彼らエリートの富を守るための番犬としての日本の軍隊や軍備が必要なのです。」「そして、アジアとアジアを戦わせ」「(アフリカのように)アジア全体を貧困化させ」、「新世界秩序での支配権を永続的に掌握する」ことを目論んでいるのです。
こうした預言については、後に詳しく書きます。
しかし、彼らのその計画は、最終的に、神によって阻止されます。

今までのブログの記事で、聖書は日本人の預言者たちによって書かれ、イエスも日本人だったということをたびたび検証してきました。しかし、現在のところ、1億を超す日本人の中で、これを心から信じて下さる方は、10人ほど確認できるのみです。
数が少なすぎるように見えますが、それでも、預言どおりに世界は動くのです。

結論を云いますと、日本国民の心に「戦争忌避意識」がしっかり据わっていることを神がご存じなので、日本はこの罠からぬけだすことができます。70年間平和を願い続けてきたのですから、あとひと踏ん張りです。

ヨハネの黙示録」5章に次の預言があります。
 またわたしは、玉座に座っておられる方の右の手に巻物があるのを見た。
 表にも裏にも字が書いてあり、七つの封印で封じられていた。
 また、一人の力強い天使が、
 「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者はだれか」と大声で告げるのを見た。
 しかし、天にも地にも地の下にも、
 この巻物を開くことのできる者、見ることのできる者は、だれもいなかった。
 この巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者がだれも見当たらなかったので、
 わたしは激しく泣いていた。
 すると、長老の一人がわたしに言った。
 「泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、
 七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる。」


ヨハネの黙示録」と「ファイストス円盤」によって、歴史と預言の真実を解くことが出来ましたので、「預言」が成就するのです。
つまり、「ダビデのひこばえが勝利を得たので、 七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる。」と預言されていますので、「これを解いた者はすなわちダヴィデの子であり、解いたときには既に勝利が決定している。」ことが、ここに預言されているのです。
「身動きが出来ないほどの重装備のゴリアテを倒すダヴィデの一石」とは、「ファイストス円盤」なのです。

なぜ、「勝利」を得たのでしょう。
それは、日本の預言者たちが、神に従い、偽りを退け、悪者どもの習性や謀略を分析しつくして預言を組み立て、謎解きを可能にする文書、文物、行事その他の敷衍を成し遂げ、さらに、預言者の言語を数千年間保護することを全うしたからです。
そして、日本国民の大多数が本来温和な性格だからです。

勿論、守護神恵穂葉神の御加護があったからにほかなりません。
これによって、「中東のイスラエル」、「国連という偽ニューエルサレム」、「バチカンの偽キリスト教」「ルター派、ピューリタン、あるいはものみの塔」にいたるまでのいわゆる自称クリスチャンたちの化けの皮が剥がれてしまって、今や、彼らは「裸の恥を曝しながら」立っている偶像にすぎません。
上にあげた「預言の簒奪者たち」言い換えれば「前門のトラ」と「後門のオオカミ」が心を合わせて日本を「恵穂葉神の民である痕跡を消し去ろうと「第一次世界大戦」と「第二次世界大戦」を仕組んだのでした。
もちろん、その謀略にまんまと引っかかって、敵に協力を惜しまなかった「日本の獅子身中の虫」がいました。彼らの、そのみごとな「日本の守護神恵穂葉神及び日本国民への裏切りぶり」が買われて、彼らの子孫は手厚く保護されており,繁栄して日本国民を搾取し誤導しつづけています。

日本は新しいエルサレムとなる 2

124 1945年8月15日

日本の無条件降伏
1945年8月15日、アジアの東端で、日本は無条件降伏をしました。
その結果、日本は数千年ぶりに主権を剥奪されて、GHQ管理の下におかれ、「神国」というレッテルは引っ剥がされました。 
そのころ、アジアの西端では、連合国が「イスラエル国」という神の国とその主権をユダヤ人に与える準備にいそしんでいました。
この、まったく正反対の二つのことが同時に連合国の手によって成し遂げられたということを世界も日本も意識していません。

1947年11月に、連合国の組織である国連は、パレスチナ分割案の採決をしましたが、ここで大きな力を発揮したアメリカ政府の分割案支持派は、「そこにユダヤ人国家ができれば、中東に安全かつ進んだアメリカの基地ができる」という理由を掲げたのでした。

1948年5月14日 イスラエル共和国が誕生しました。そのときのイスラエル側のコメントは、次のようなものでした。
 
  聖書が絶えず繰り返している預言者の約束が成就し、
  イスラエル共和国が再び誕生したという事実は、人智が有限であり、
  最高の力(スーパーナチュラル)が、人間の諸条件の上に影響しているということを、
  人類に認知させ認識させる出来事である。
  これは、神の御意思による人類救済の雛形か。
  約束の民に約束の地を賜 ると聖書が預言した彼らの権利と義務を、
  地上の権力が否定することは到底みとめることができない。

さて、それから約70年、イスラエルは上記の「これは、神のご意思による人民救済の雛型」になっているでしょうか。
逆に、「悪による人民破滅の雛型」になっています。
しかし、イスラエル人たちが至って平然としているのは、彼らは思うままに、都合の良い国で、その国民となって生活するのがサガだからです。
要するに、聖書とエホバ神を簒奪して、利用出来るところを最大限に利用しているだけであって、預言の神髄などはどうでもよいのです。それどころか、世界の金融と国際機構を掌握した今では、聖書の予言や恵穂葉神の真理などは、むしろ邪魔として葬り去ろうと画策しています。


それでは、キリスト教側は、イスラエル建国をどのように位置づけいたのでしょうか。
キリスト教側のアメリカの見解
  イスラエル国の再建は、まさしく聖書を信じるキリスト教徒にとっても、
  旧約聖書と新約聖書の預言の成就である。
  聖書を信じる者だれもが、
  キリスト教と新しいイスラエル共和国とが引き離せない関係にあることを
  知っているはずである。
  クリスチャンの信仰の一部は、
  このイスラエル国の平和のために祈り献身することである。
  アメリカが長く祝福されてきた理由のひとつは、
  私たちがイスラエル側についてきたからである。

このように、アメリカ側は宣言しました。
この見解がアメリカだけのものではないことは、連合国の国連がイスラエル共和国誕生の産婆役を務めたことでもはっきりしています。
どうです、旧約聖書簒奪の前門のトラと、新約聖書のキリスト簒奪の後門の狼の見事な結託ぶりは!!!

8月15日とは、旧約聖書とキリストの本地日本から「旧約聖書簒奪の前門のトラと、新約聖書のキリスト簒奪の後門の狼」が結託して、わが国を奈落の底に突き落とした日なのです。

そのまえに、神の国を植民地に陥れようと謀る「彼ら」と結託して革命をおこし、日本国の守護神恵穂葉神の上に現人神という偶像を置いて、恵穂葉神をわが国から神避らせたという大罪を犯していたわが国の政府です。
ですから、すでに、守護神恵穂葉を神避らせていた日本が神国という世界に二つとない大切なタイトルを引っ剥がされたのも当然のことではありました。



1945年8月15日 その後
さて、連合国の代表者に出世したアメリカは、軍事大国です。大量の戦闘機、戦車、銃火器のほかに原子爆弾という世界最強の武器の威力を世界に示しました。
ですから、その並ぶものなき軍事力をいかして、世界を彼らの植民地化すべく、次のような方針を打ち出しました。

1948年6月17日 ワシントンは、冷戦を継続し激化する方針を決めた。
  アメリカの防衛体制内にある日本のアジアの工場としての価値、
  日本の熟練した技術と従順さ、これを有効利用する方針を固めた。
  日本をアメリカ管理のアジアの工場にすれば、
  その力でアジアの他の部分を支配できる。
  日本の遊休工業力とアジアの原料資源を結びつけ、
  アジアにおける西側の優位を維持するためには、
  要塞地帯を選び、これを強力に押さえ、
  集中的かつ漸進的に開発してゆく政策が必要であろう。
  日本フィリピン、インドネシア、サウジアラビア、イラク、旧パレスティナがこれである。
  ニューヨーク・ヘラルド・トリュービン

  1948年6月 マッカーサー元帥は、日本の沿岸警備船一二五隻の再武装と、
  日本の警察官十万名の重火器装備を許可した。

  1950年6月5日 百選練磨のアメリカ将兵五百名を賢明かつ重点的に用いて、
  諸君の代わりに銃砲を撃ってくれる十万人の兵士を訓練し得る。
  在韓国軍事顧問団はその生きた証拠である。
  アメリカの納税者は、韓国に投資した資本の優れた番犬の役を務める軍隊、
  最小費用の最大効果の見本である軍隊を置いている。
・・ニューヨーク・ヘラルド・トリュービン 

韓国同様に、日本にも西側の優位を維持するための番犬が置かれたことはご承知のとお
りです。このように、イスラエルも日本もアジアを覆う米欧の基地網の一部に過ぎず、日本は植民地の身分に過ぎません。アジアのあらゆる問題にワシントンが介入するのはこのためです。 
第一次世界大戦も第二次世界大戦も、「エルサレム問題」「石油の利権」「米欧の基地ネットワーク」「アジア総植民地化」の四つのファクターを抜きにして語ることはできません。
そして、「新しいエルサレム」問題とは、「ミレニアム」、「千年王国」という言葉で捉えないと全貌が見えません。
言い換えれば、聖書で裏打ちされた「新しいエルサレム」の問題とは、聖書で解決するか、武力で解決する方法をとり続けて「永遠の劫火」と為すかの二者択一以外に方法がないのです。

聖書の預言を簒奪する者たちは、ランドの破壊者であり軍国主義者たちなので、もっともなスローガンを掲げて戦争に駆り立てます。
「聖戦」「平和のため」「正義のため」「お国のため」・・・、そして、その結果は、当然のことながら、死屍累々、阿鼻叫喚、廃墟、そして、退廃と破滅です。

1950年6月5日 ニューヨーク・ヘラルド・トリュービンの記事を上に掲げましたが、その要旨をもう一度みてください。
アメリカがわが国や韓国と結ぶ軍事同盟(安保条約等)とは、次の三点につきます。

 アメリカの諸君の代わりに銃砲を撃ってくれる兵士を訓練し得る。
 アメリカの納税者は、日本や韓国に投資した資本の優れた番犬の役を務める軍隊、
 最小費用の最大効果の見本である軍隊を(日本や韓国に)置いている。

要するに、国際金融資本家たちのための代理戦争要員として日本の軍隊を備えているのです。
前門のトラと後門の狼が結託して進めている世界戦略に乗ってはいけません。彼らは、今度こそは日本を亡きものにしようともくろんでいるのです。
今までに、彼らのためにわが国の納税者たちが費やしてきた金額は、「平和主義を貫いたわが国が戦争に巻き込まれた場合に蒙る被害額よりもはるかにはるかに膨大なものです。その上に、今度は日本消滅の仕掛けの陥穽が組み込まれます。
しかし、彼らのその目論みは成功しません。

日本はすでに「戦争放棄」の日本国憲法を犯しています。しかし、これ以上「戦争に参加しないように、神が預言者を通じて日本を聖なる新しいエルサレムに任命しておいてくださった」のです。
それは、世界平和のためであることをみなさまは理解しなければなりません。



ニューヨーク国連本部に刻まれている聖書の聖句を見てください。
また、国連本部には旧ソ連政府が贈った「剣を鋤に打ち変えている男」のモニュメント(旧ソ連の彫刻家エフゲニー・ヴチェーティチ (Евгений Вучетич, 1908 - 1974) による1957年の作品「剣を鋤に打ち直そう」 )が据えられています。

国連は、「世界平和の実現と国家間の友好関係の促進」を目的とすると宣言して、旧約聖書の「国は国に対して剣を上げず 二度と戦いのことを習わない」という聖書の預言を国連のスローガンとモニュメントとして掲げているのです。
このことによっても、聖書の主題が何であるか伺い知ることができますし、聖書が、今なお、世界史と深くかかわっていることを証しているのです。

しかしながら、発足以来ずっと、国連は「剣を鋤に打ち直す」とは、正反対の歴史を刻んでいますが、それは、国連の真の権利者が連合国の支配者たちであり、その実態は、日本国から預言を簒奪しているものたちです。

国連本部に刻まれたイザヤ書

国連本部 イザヤ書2章像
上の2枚の写真と像の移転の情報は、「空港探索」 アメリカ旅行3日目 2006-11-01 「とり」様から借用させていただいたものです。

ニューヨークの国連本部に刻まれた 終末預言
 
 THEY SHALL BEAT THEIR SWORDS INTO PLOWSHARES.
 AND THEIR SPEARS INTO PRUNING HOOKS.
 NATION SHALL NOT LIFT UP SWORD AGAINST NATION.
 NEITHER SHALL THEY LEARN WAR ANY MORE. ISAIAH

 彼らはその剣を鋤に、
 その槍をかまに打ち直し、
 国は国に向かって剣を上げず、
 二度と戦いのことを習わない。 イザヤ

ニューヨークの国連本部に刻みつけてあるこの聖句は、聖書「イザヤ書」 2章 と「ミカ書」 4章に記されている重要な預言です。
「イザヤ書」 2章 と「ミカ書」 4章は、世の終末にメシアが到来し、完全な平和がもたらされると述べている預言であり、それはヨハネの黙示録の究極の主題でもあります。

「イザヤ書」2章
 終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち 
 丘々よりもそびえ立ち、
 すべての国々がそこに流れきて、多くの民が来て言う、
 さあ、主の山ヤコブの神の家に上ろう、
 エホバは、ご自分の道を私たちに教えて下さる。
 シオンから御教えが、エルサレムから主の御言葉が出る、
 主は国々の間を裁き 多くの国々の民に判決を下される。

 彼らは剣を鋤に、槍を鎌に打ち直し、
 国は国に対して剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。
 来たれヤコブの家に、私たちもエホバの光に歩もう。

国連がいかに聖書の終末預言を簒奪しているか、そして、スローガンの「平和」とはほど遠い存在であるか、その矛盾の謎が、預言の本来の権利者がじつは日本であるからだということがこれによってわかります。
国連は、平和の実現には少しも役立っていないばかりか、国連が設立されてこのかた戦争や紛争のない日は一日もありません。

国連は、「イスラエル共和国」を誕生させたことでも知られています。
二十世紀に二千年ぶりに現れ出でたイスラエル共和国と国連が、エホバ神の御霊「平和の実現」の予言を
を果たし得ないのは何故でしょうか。
これも、イスラエルは預言を簒奪し、神の国日本を貶めて設立した国でありますから、神がこれに祝福をあたえられるわけがありません。

それとは対照的に、この預言のようにこの70年近く平和を維持している国、それは日本です。実に不思議なことではありませんか。
しかし、今、雲行きが非常に怪しくなってきています。
しあも、そのこともみな預言に書いてあります。

今、「戦後70年」という節目に何が起ろうとしているのか。

日本は新エルサレムになる 1

123 新しいエルサレムについて

日本が新しいエルサレムになるということは、「創世記」から「ヨハネの黙示録」に至るまで、随所に預言されていることです。
わたくしのブログ全体をお読みになった方はご理解いただけるはずです。
それは、そう遠い未来の事ではありません。
国民の皆様が真剣に私のhuログを読んで、国会議員さんたちに、私のこのブログを検証するようにとの要請を陳情してくだされば、それが14万4千人分集まれば、ただちに実現することです。
ですから、真剣に全知を投入してブログを読んでくださる方々が14万4千人いて、ただちに陳情書を提出するという行動して下さるか否かに、この国の、そして世界の未来がかかっているのです。
鶏の卵が存在しても、それが完璧で有精卵であっても、温めて孵化させ、育てるということを放棄しては、その種の生命の継承は途絶えるのと同様に、恵穂葉神の完全無欠な預言といえども放置しておいては無意味なのです。

聖書の預言は、その最初から、ランド(卵土)の世話人たる人類にランドの世話を全うさせるために書かれているのです。
しかるに、今人類を代表して世話をしているつもりの国々は、ランドの破壊以外に能がないのが現実です。

イギリスの風刺画家、ジェイムズ・ギルレイ(1756~1815年)「夜食をとるグルメ

イギリスの風刺画家、ジェイムズ・ギルレイ(1756~1815年),の「夜食をとる国家的グルメ」の仏ナポレオンと英首相ピット 1805年の作品です。 
この風刺画は、十九世紀になる以前にすでに当時イギリスとフランスがミレニアムの「千年王国」の簒奪に向けてうごめいているのを察知していました。

「彼ら」が、仏のナポレオンと英のピットに、「一つの円卓」上で陸と海を切り分けさせている場面をギルレイは見事に風刺しています。これは、一八〇五年一月のナポレオンによって提示された英国との調停案が下敷きになっていますが、一九四一年八月の「戦艦アウグスタ号」上での、米ローズヴェルトと英チャーチルの洋上会談の予形です。
このアウグスタ号上の洋上会談は、大西洋憲章の概略を決め、世界分割案をねりあげ、これをもっとも有利にするための原子爆弾製造の経過報告をも目的としていました。
この世界分割案はイギリスとアメリカ主導というかたちで運び、国連において完遂されるように運びました。
「アウグスタ号」の名は、二千年前にミレニアム預言を簒奪して、イエスを磔刑という過酷な刑に処したアウグスタ一族にちなむ名前です。そして、一九四五年八月、このアウグスタ号上で練られた案どおりに、日本国民という羊の群れに対して原子爆弾による処刑を行ないました。核の脅威をみせつけるための犠牲の羊に選んだのが日本国民でした。そのうえ、まんまと日本から「神の国」の手がかりを消してしまいましたので、彼らは全地球を「新世界秩序」にむけて荒らしまわることが可能になったのです。

そして、国際連盟も国際連合も、欧米各国の「彼ら」の責任を転嫁しつつ、「人道主義」という仮面の下で、運営費を日本などに押し付けて、「新らしい神の国民」となるべき人々を犯罪者や乞食に貶め、なおかつ、世界ににらみを利かせるためのアンチ・キリストの機関であり、エホバ神の預言とイエス・キリストの教えを妨害する機関です。 
キリスト教徒はそれを「聖地奪還」「千年王国」、または、「新世界秩序」「グローバリゼイションという修飾語で飾り立て、ユダヤ教徒はそれを「シオニズム」と叫んで酔いしれています。
それは、聖書の預言を、前門の虎と後門の狼が簒奪して、預言を偽って、思想を同じくしているユダヤ教徒とキリスト教国は、協力してミレニアム戦略を練り上げてきました。この両者のミレニアム戦略に欠かせない両者のシンボル(しるし)が「イスラエル共和国」と「国連」という偶像(虚像)の誕生でした。

世界平和の実現とは無縁の国連
国連が、「世界平和の実現と国家間の友好関係の促進」を目的とすると宣言して、旧約聖書の「国は国に対して剣を上げず 二度と戦いのことを習わない」という聖書の聖句をモニュメントとして掲げていることによっても、聖書の主題が何であるか伺い知ることができるのであり、聖書が、今なお、世界史と深くかかわっていることの証しでもあります。
聖書はイザヤ書二章のように、平和の実現が成就すると預言しているのですが、国連設立以来六十年の歳月を経ても、いまだ「平和の成就」という方向は、まったく見えません。

国連はベトナムに対して「オペレーション ハーデス」、すなわち、地獄作戦にゴーサインをだして、ベトナムに空から枯葉剤を撒くという悪業に加担しました。その後も、国連は戦争に携わり続け、アメリカのブッシュ大統領のイラク戦争などを支援しているありさまで、発足以来ずっと、国連は「剣を鋤に打ち直す」とは、正反対の歴史を刻んでいます。それは、国連の真の権利者は、連合国の支配者たちだからです。国連は、権威獲得、運営費の負担(莫大)を日本に押し付ける、戦争責任の所在をあいまいにする、などの、高等戦術を駆使するために設立されています。その根本は預言の簒奪なのであり、日本が新しいエルサレムとなり、世界平和が実現すると言う預言を阻止するための組織なのです。


ミカ書 3章
預言者(宗教家 )たちに主はこう告げられる
彼らはわたしの民を惑わせ 歯で噛むものがあるときは
「平和があるように」と叫ぶが
彼らの口に何も与えない者には「聖戦」を宣告する

国連が誕生させたイスラエル共和国もまた、平和の実を実らせることはできないばかりか、永遠に消すことのできない紛争の火種でしかありません。

ナポレオンやピットを動かしたのも、第一次世界大戦や第二次世界大戦も、「千年王国」預言を簒奪するプロジェクトによるものであることがわかります。
フランス革命、アメリカ独立戦争、明治維新革命、そしてロシア革命などは、みな預言簒奪によるミレニアム戦略の一環です。
マルクスらの「資本論」や「共産党宣言」、「ロシア革命」すら、みな、シオニズム運動の一方策であったとは、ユダヤ教ラビのマーヴィン・トケイヤーの著書「日本買いませんか」双葉社などにくわしく明かしていますので、英米ユダヤのこうした自慢話の数々を検証することがこの近代から現代の歴史を解明する近道です。
「人はその口にするあらゆる無駄な言葉について、裁きの日に申し開きをしなければなりません。(「マタイ福音書 」12章)

ナポレオンやピットに軍資金を貸したのも、日本の明治政府に資金を貸したのも同じ家系の金融業者たちです。彼らがあらゆるところに貸し付ける金はすべて、「日本が新しいエルサレムとなり、平和の実現を成就させる」という預言を簒奪して、「世界を戦争と破壊で支配する」という目的を遂げるためです。


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